松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアス・イベント体験記 第33回
大学が探偵小説関連のイベントを実施。
学問の府でしかできないミステリのアーカイブ化に大賛成
旧江戸川乱歩邸特別公開(立教大学)
2013年5月16日~29日
三田文学ライブラリー 探偵小説、推理小説の系譜(慶應義塾大学)
2013年5月10日~6月1日

ミステリ研究家 松坂健

 昔はこうじゃなかった、と言うと老人の繰言めいたことになってしまうが、大学という学問第一のところが、ここまで探偵小説という大衆文学をまともに扱うようになるとは、夢にも思わなかった。
 昭和30年代、探偵小説が当用漢字制限で「偵」の字が使えなくなって「推理小説」という名に置き換えられた頃から、この大衆文学の一ジャンルも、市民生活の中に溶け込み始めたとはいえ、とても大学の文学部が「研究対象」にするということなど考えられなかった。文学研究は荘重暗鬱な正統の文学を扱うもので、乱歩さんであっても、まっとうな研究テーマとは認められなかったと思う。
 そんな大学が、ここまで探偵小説にきちんと取り組んでくれるとは、とある種の感慨をもちながら、足を運んだイベント2件を報告したい。
 ひとつが、立教大学江戸川乱歩記念大衆文学センターが主催して行われた、旧江戸川乱歩邸の特別公開だ。
 2002年、立教大学は江戸川乱歩邸そのものと旧蔵書、資料を一括して引き受け、とくに豊島区指定有形文化財に指定された土蔵の復元、乱歩所蔵の書籍、文献の保存、自筆原稿、書簡の整理にあたった。それらの作業はいったん2004年に完了し、「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」と題する大規模なイベントに結実した。
 その過程で生まれたのが乱歩研究を核として広く大衆文化を視野に入れた、江戸川乱歩記念大衆文化センターだった。
 2004年誕生以来、2003年に立教大学敷地内に庭を含めて移設された乱歩邸の管理を行うとともに、機関誌「大衆文化」の発刊など、意欲的な研究を続けている。
 その旧乱歩邸、ふだんは閉ざされ、中に入れないのだが、この5月16日~29日にかけて、豊島区の町おこし、「新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館」の一環として特別公開されたのである。
 残念ながら、愛書家には垂涎の土蔵は、入り口から中をほんの少し覗くことができるだけだが、母屋の雰囲気、内装をきちんと復元した応接間などはきちんと見学できた。
 応接間には、有名な松野一夫画伯の肖像画がかかり、乱歩賞正賞のシャーロック・ホームズ像、アメリカ探偵作家クラブのポー像などが展示されている。後者のポー像は、1959年、渡米した当時の探偵作家クラブ会長の木々高太郎氏が持参したホームズ像と交換でもらって帰ってきたものとのこと。
 あまり、語られないが、乱歩さんは本気でアメリカ、英国など探偵小説の本場で自作をもって勝負をかけたかったはずだ。彼は決して、日本マーケットだけに固執する閉鎖的な作家ではなかったと僕は思う。
 いずれ、乱歩さんの海外志向については論考をまとめたいと思っているので、このポー像をどんな気持ちで眺めていたか、想像すると楽しくなる。
 なお、2010年に同センターの編集による「旧江戸川乱歩邸GUIDEBOOK」という小冊子が発刊されている(頒価500円)。コンパクトに土蔵、応接間などの様子がわかり、かつ主要蔵書の書影、自筆原稿写真などが収録されているので、乱歩ファンにはおすすめしたいところだ。センターにネットでアクセスするか、立教大学キャンパス内でも入手できると思う。
 さて、もうひとつの大学の探偵小説イベントは、慶應義塾大学の図書館1階展示室で行われた「三田文学ライブラリー 探偵小説、推理小説の系譜」なるもの(5月10日から6月1日の日程)。
 三田文学ライブラリーは慶應義塾にかかわりの深い三田の文人、106人の初版本や自筆原稿、書簡などを集めたコレクション。ここに収蔵された本は図書館用に請求記号ラベルの添付などを行わず、元の状態のまま保存されているのが特徴。したがって、普通は破棄されるカバーや箱まできちんと揃っているわけだ。
 ふだんは公開できない性質のこれらの本をテーマ別に展示するシリーズ企画のひとつとして、今回は探偵・推理作家のものが選ばれたわけだ。
 展示された作家は、木々高太郎、戸板康二、夢野久作、黒岩涙香、松本泰、正木不如丘、堀田善衛、佐藤春夫、泉鏡花、遠藤周作、柴田錬三郎など。
 戦前、『人生の阿呆』で直木賞を受け、戦後は乱歩さんと探偵小説文学論争で推理文壇を沸かせ、「推理小説」の名付親でもある木々高太郎氏の著作がメインになっている。展示されているなかで、自筆原稿が「よき成長を」と題した、僕の出身サークルである推理小説同好会の機関誌、「推理小説論叢」創刊号の巻頭言だったのは、ちょっぴり嬉しいことではあった。
 それにしても、戦前刊行の単行本の装丁の美しさ、機知あふれる感覚には素晴らしいものがある。佐藤春夫の法廷ミステリ『維納の殺人容疑者』という本など、箱もカバーも実に楽しい仕上がりになっている。
 ちなみに、涙香の著作も6点ほど展示されている。翻案ものにまじって、日本探偵小説最古の業績のひとつといわれる『無惨:新案の小説』の元版もあった。涙香本にはどれも極彩色の表紙絵がついていて、それを眺めるのも一興だった。
 大学という研究機関でしかできない活動のひとつに、こういった作家たちのアーカイブの運営、維持ということがある。立教の乱歩、二松學舍の正史が日本の探偵作家アーカイブの代表だが、もっともっと多数の作家がこのような形で顕彰されるのが望ましい。