松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアス・イベント体験記 第34回
本場でも見ることのできないクリスティー劇が日本で上演された
『アガサ・クリスティー サスペンスオムニバス』
第1部『最後のディナー』
第2部『フェイからの手紙』
2013年7月2日~3日 三越劇場にて

ミステリ研究家 松坂健

 本国のイギリスでも見ることのできない日本オリジナルのクリスティー劇があるとなると駆けつけないわけにはいくまい。
 まだ、いくつかご本人以外の人が脚色したクリスティー作品は残っているが、今回は聞いたこともないクリスティーのサスペンス劇の中編を二本、オムニバス形式で上演するとのこと。いったい、どうなっているのだろうと、興味津々で劇場に駆け付けた。
 企画の母体となっているピュアマリーは、海外の芝居、ミュージカルを積極的に上演するプロデュース会社。これまで多くのミュージカルを輸入してきたが、それとともに注目されてきたのが、クリスティー劇の上演。今年はすでに、初演から60周年ということで、『マウストラップ』を上演するほか、三波豊和さんのポワロで『名探偵ポワロ ブラックコーヒー』などを舞台に乗せている。
 ピュアマリーの代表でもある保坂磨理子さんが自ら翻訳台本を手がけていることからしても、相当なミステリファンとみた。
 そんなピュアマリーが着目したのが、クリスティーが一時、熱を入れて書いていたラジオドラマの作品群。1940年前後のクリスティーにはラジオ台本の作品も多い。あの『マウストラップ』も最初は、英国王室の皇太后が80歳の誕生日に何が欲しいかと聞かれ、クリスティーのドラマが聞きたいというご下問があって、執筆された経緯がある。
 そんなクリスティーのラジオドラマ2編を発掘し、それを舞台化するという試みが、この公演『アガサ・クリスティーサスペンスオムニバス 第1部:最後のディナー/第2部:フェイからの手紙』だった。もともとラジオドラマだったものを、舞台にしたのがプロデューサー、保坂さんの手腕。これなら、日本初演どころか、世界初ということになる。なかなかのアイデアだと思う。
 第1部『最後のディナー』は1956年に放送されたもの。原題は聖書からとられた言葉で「君主にふさわしい皿にもられたバター」といって、金づちと釘を使って暴虐の王の額を打ち抜く女王のエピソードを示すもの。
 主人公は次々と被告を死刑に追い込んでいく辣腕の訴訟代理人のルーク。彼はその巧みな弁論術で、陪審員を魅了するのだが、その話術は私生活では女をたらしこむことに費やされている。今日も連続美女殺人事件で勝訴した彼は、謎めいた美人の誘いに応じて、郊外のマナーハウスに向かっていた。そこに待っていたのは?
 という物語。謎の美女に多岐川裕美さん、ルークに加納竜さんという配役である。
 第2部の『フェイからの電話』は1954年放送のものから脚色。
 新婚夫婦のジェームズとパムは新婚旅行を前にホームパーティを開いている。友人たちが集って、とても愉快な雰囲気だが、そこに一本の電話がかかってくる。フェイという名の女からだった。用件はジェームズにとある駅まで出てこいというものだった。気分が悪くなったジェームズは電話交換手に、その電話はどこからかけられたかを調べさせるのだが、意外なことに交換手は、誰からもジェームズ相手の電話はとりついでいないという。いったい、電話の主は誰で、何を要求しているのだろう。そして、ジェームズが不在中、パムがその女からの電話を受けてしまう。女は「ジェームズと一緒に列車に乗る旅はよしなさい」と警告する。
 ジェームズとパムは一緒に駅まで出掛けて、真相を探ることにする。その駅に現れたのは……? 夫に大衆演劇界の竜小太郎氏を呼び、妻には宝塚出身の夕貴まおさんがキャストされている。謎のフェイは多岐川裕美さん。
 どちらもクリスティーならではの、愛憎劇だ。彼女が不倫関係に対して厳しい見方をし、とくにジゴロタイプの男性には嫌悪に近いものがあるのは、小説からも読み取れるが、実際には彼女の劇作、そしてこうしたラジオドラマの方により明快に彼女の気持ちが表れている。『マウストラップ』のホームドラマ風の方が、彼女としてはむしろ無理をして書いたものと、僕などは考えている。本領は『検察側の証人』(映画『情婦』)のほうにあるのではないか、と思う。そんな観点から、今回のオムニバスを見ると、やはり女史には、かつての夫、アーチーとの間の感情のもつれが生涯にわたるトラウマだったのだなあ、と思う。
 クリスティー女史が持つ少し辛口のメロドラマ体質を見つけたのが、このプロデュース劇団の功績だろう。残念ながら、僕は見逃してしまったのだが、2004年のクリスティーの普通小説を脚色した『春にして君を離れ』はなかなかの傑作といわれていたものだ。
 但し、若干苦言になるが、今回はやはりラジオドラマを舞台にすることに、無理があった。もともと30分枠のドラマで、それを1時間弱の長さにしたため、やや筋の運びにもたもたした感が拭えなかった。途中、なくもがなのもったいぶった場面があったのも、僕は支持できないことだ。第1部で、主人公の運命を暗示するかのように、舞台俳優全員が長テーブルに集まって、ミケランジェロの「最後の晩餐」と同じ構図の絵柄になるよう舞台を作るなんていうお遊びにどれだけ意味があるのか、という感じだ。
 もう一編、ドラマを発掘して、各々30~40分、全3編で2時間程度のものに仕上げたらよかったのではないだろうか。少し、間延びが多すぎた。
 しかしながら、こういうようにオリジナルなクリスティー劇が見られるというのは、贅沢な話だと思う。これからも、このプロデュース公演には注目していきたいと思う。