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1961年 第7回 江戸川乱歩賞

1961年 第7回 江戸川乱歩賞
受賞作

かれくさのね

枯草の根

受賞者:陳舜臣(ちんしゅんしん)

受賞の言葉

   抱負を述べます

 抱負を述べるのは一つの宣言、つまり公約であります。自分の能力もまだわかりもしないのに抱負を云々するのは、大そう勇気の要ることです。あとで、「あれはどうなった?」と嗤われるかもしれませんし、自分の宣言にこだわって動きがとれなくなるおそれもあります。黙っているに如くはないでしょう。どうしてもというなら、推理小説が人にばかにされないような、立派な作品を書きたい、という超月並みな言葉しかありません。
 推理小説の読者層は意外に広く、私の受賞が伝えられた時も、母校の学長が『新青年』以来の愛好者として良い作品を期待する。と激励してくれました。昔同じ研究室にいて現在アラビヤ語の主任をしている教授も、推理小説マニヤだと手紙をくれました。この人はイブン、シーナとコーランしか読まない御仁だとばかり思っていたので、おどろきました。
 愛好者も多いかわりに、白眼視する人もいるのです。海音寺さんや山本周五郎さんを高く評価することがいま流行っています。「しかしこれと、 (一行不明)  り区別さるべき現象である。後者はたんに底の浅い団体旅行化の一例に過ぎない」大衆文学再評価論のあとに、評論家S氏はこうつけ加えました。切歯扼腕にたえませんが、こうした論は大いに斗争心をかきたててもくれます。作品でもってこの種の説に応酬してやろう、というのが私の抱負の一つです。これだけは花嫁のように羞ずかしがらずに宣言致します。但しそれに何年かかるか、資質の問題ですから明言できません。
 推理小説が死の周辺を扱う以上、それが良い作品であれば必ず読者に或る感動を与えるはずです。また推理小説は「組立て」を重んじますが、古今の大文学も然りです。推理小説によって読者への要求と信頼のみごとな結晶が生れる可能性は濃厚であります。
 かの純文学のなかには非常にすぐれたものがある反面、いやしい媚び、それもたくみに取り澄ました姿勢、苦悶なき呻吟の体裁による媚びを感じるものもあります。
 私のもう一つの抱負は、作者が創作の喜びに溢れて書き読者が娯しんで読む、つまり共に楽しむという推理小説が、すくなくとも卑しい媚びをのぞかせるむなしい小説より上位にクランクさるべき真理を論証することであります。これは五十年と年数を限りましょう。そのなかで「最近五十年の推理小説名作」を引用せねばなりませんので皆様のご協力を仰ぎたいと存じます。五十年の労作の仮題は「魂なき言葉のモザイクを排す」という米寿翁にしてはいささか戦斗的なもの。

作家略歴
1924.2.18~2015.1.21
神戸市生れ。大阪外国語学校(現大阪外国語大学)インド語科卒。
家業の貿易商に従事していた一九六一年、「枯草の根」で江戸川乱歩賞を受賞。つづいて、「三色の家」「弓の部屋」「怒りの菩薩」などを発表。六九年に「青玉獅子香炉」で第六〇回直木賞を、七〇年に「玉嶺よふたたび」「孔雀の道」で日本推理作家協会賞を受賞する。また、「敦煌の旅」で大佛次郎賞を、「諸葛孔明」で吉川英治文学賞を受賞。

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選評

江戸川乱歩[ 会員名簿 ]選考経過を見る
秀作を得て欣快

 最終候補作五篇に私がつけた順位は下の通りであった。

 陳舜臣「枯草の根」
 垂水堅二郎「紙の墓碑」
 花屋治「紙の爪痕」
 谷達郎「重い影」
 松尾糸子「土のハンター」

 逆の順序で感想を述べると、最後の「土のハンター」は文章に気取ったようなところもあるが、かならずしも効果的でなく、また、映画風な余りに切れぎれな場面転換が目まぐるしく、かえって興味をそぐ。土地の値上りをテーマとしたところは時代色もあり、一つの思いつきだが、二百枚読んでも、まだサスペンスが湧いてこないような書き方なので、読み通すのが苦労であった。
 「重い影」は文章は悪くないし、プロットの曲折も複雑に考えてあるが、どこか物足りない。犯罪が起るまでの百数十枚が、さして面白くないし、また、動機に迫真力が乏しい。ダンプカーを使ったトリックには新味があるけれども、全体として力が弱く、論理性も薄い。これはと感心させるほどのものがないのである。
 「紙の爪痕」は四分利付仏貨公債という題材や、カトリック教会を扱ったところなど、着眼は面白いのだが、書き方が論理的でない箇所が多く、読者を細得させない。この作の中心となっている仏貨公債の件も、当時大蔵次官をやっておられた長沼選考委員の話では、こんなことはできっこないというし、フランスへ往復するスチュワデスが途中で入れかわるトリックも、とても不可能らしい。なお一、二の例をあげれば、暑さで死体が腐る心配があるあいだは殺されないだろうという勝手な独り合点、関係のない男女を情死と見せかけるのに、女が処女なので、少なくとも半年以上肉体関係をつづけていたと思わせるために、五人の男に輪姦させるという箇所など、ものの考え方がおかしいのである。小さいことだが、もっと極端な例をあげると、停電で電話が通じなくなるとか、別の部屋の電話に切りかえれば盗聴ができるとか、非常識あるいは説明不足の箇所が目だつ。
 「紙の墓碑」は文章は達者だが、少し饒舌すぎ、通俗的なところがある。この作の着想はジョン・ロードの「ブレード街の殺人」や、ウールリッチの「黒衣の花嫁」や、クリスティの「そして誰もいなくなった」に類するもので、読者を驚かす新味がなく、先ずその点で損をしている。これは非常な不可能興味なのだが、それがうまく書けてないので、サスペンスが感じられない。
 また女性犯人の心理に納得できないものがある。恋人のために八人の人物に復讐をするのだが、その恋人が他の女を愛したので、その女を犯人に見せかけて、恋人を殺してしまう。それでいて、殺したあとでも、その恋人のための復讐をつづける。ここの心理を、作者は地の文で説明しているが、なんだかこじつけのようで納得しにくい。
 と、欠点ばかりあげたが、長所がないではなく、四篇のうちでは一番よく書けていると思うが、しかし、次にしるす入選作とのあいだには相当の隔たりがある。
 入選作「枯草の根」は、これという欠点がなく、長所だけが心に残った。登場人物の多くは神戸に住む中国人なのだが、それらの人物の悠々たる大陸的風格や、中国ふうの道義観がよく出ている。殊に素人探偵役の中国人の性格が非常に面白く描かれている。文章もゆっくりとおちついた、おとならしい語り口で、適度のユーモアをまじえ、噛みしめるような味を持っている。これらの点がこの作の最大の特徴だと思う。
 純本格もので、トリックもよく考えてあるし、そのトリックを見破る手掛りに面白い着想が使われている。プロットも充分水準以上なのである。その上に、中国語のいろいろな引用があり、漢文での筆談の話があったりして、それらがエキゾチックな魅力のある装飾となっていることも見のがせない。中国語を和訳した日記の文章や、幕切れに出てくる祭文なども名文で、殊にこの幕切れが利いている。あと味がたいへんよろしい。
 つまり、プロットも悪くないし、雰囲気や人物に魅力があるし、アクセサリーも充分だし、文体にも味があって、それらの諸要素が、この作をすぐれたものにしているのである。
 私もむろんこの作を入選と考えていたが、他の委員諸君は私以上に高く買っていて、従来の江戸川賞作品中でも第一の出来栄えだという説もあり、今年度この一篇を得たことは私の欣快にたえないところである。
 最後に一ことつけ加えるが、予選委員諸君の意見によると、毎年の応募作品には本格推理小説が多く、他の傾向のすぐれたものが見当らない。これは私が日頃から本格擁護の説を唱えているので、そういうものばかり集まるのではないか。もっとヴァライティがほしいという。私もむろん同感である。推理小説の範囲を広く考えて、あらゆる傾向のものをお寄せいただきたい。
(「宝石」一九六一年一〇月号)
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大下宇陀児[ 会員名簿 ]選考経過を見る
よい収穫

 五つの候補作品のうち、はじめの三篇を読んだとき、私は失望していた。昨年も賞に該当する作品がなかったが、また今年もそうなるような気がしたのである。
 しかし、第四篇目に「紙の墓碑」を読むと希望が湧いた。
 この作品は、サスペンスの導き方に重点がおかれ、その結果として、いささか鬼面人を嚇かすとう気味合いの旧式な形体にはなったけれども、賞の対象にはなり得るものだったからである。
 もし私が五つ目に読んだ「枯草の根」がなかったら、それは難点があるにしても、受賞作品になったかもしれない。
 が、結局のところ、「枯草の根」まで行くと、はっきり私は、この作品だと気持をきめることができた。それほどこの作品は、際立ってよいものだったわけである。
 難点がないことはない。二つある。一つは名作と称せられる作品にも、しばしば発見される種類のものであり、他の一つは、構成上の問題である。
 が、そのことは、また改めて詳述する機会もあるだろう。その二つの難点を除くと、あとは私を少し驚かせるようなものにぶつかった。
 第一にこれは風格のある作品といってよいだろう。主としてその風格は、作中人物陶展文によって醸し出されているものであるが、それは、チェスタートンの「師父ブラウン」を、或はまた水滸伝中の花和尚魯智深を連想させるようなものがないではなかった。そうして、作中の他の人物も、この題材に対応して、それぞれによく書き分けているところ凡手ではない。
 人物が浮き彫りされているくらいだから、会話や文章もうまい。年齢的にはいま作者は、壮年というところだが、作中に漂うものは、老成したといった感じさえもある。
 探偵小説の世界では、いつも無視され勝ちであったり、時には邪魔物扱いされることすらあり、それ故にまたしばしば論議を生ずることでもあるが、私はこの作者が、単なる謎解き小説への意欲だけでなくて、胸のうちに叫びたいものを持っていたのではないかと推察している。
 これは題名及び作品に籠る情熱が示していることである。探偵小説で、そういう情熱の持ち方は危険であるとされるが、持ち得るなら、持った方がいいと私は確信する。しかも、この作者はその情熱に配して、探偵小説的伏線の重大性も細心にわきまえていたし、結果の意外性という問題も、十分考慮したのである。
 選を終えて、私はよい収穫があったと感じた。
 この作者は、今までの乱歩賞受賞作者と同様に、もしくはそれ以上に、大きく成長するだろうことを、私はここに予言したい。
(「宝石」一九六一年一〇月号)
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木々高太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
満場一致

 今日は荒君が欠席していたが、意見をのべて行かれたそうで、あとで聞いた。それで満場一致で、陳舜臣の「枯草の根」に決定したのは、何とも言えぬすっきりした気持ちだった。
 僕は久しぶりで、そんな気持ちを味って、つい言ってはならぬことまで言った。それは「いままでのものを引っくるめて、これが第一等だ」と言ったのである。
 いいものをほめるのは何も遠慮することはない。陳君の今度のものは、近頃にない収穫だと思う。
 ここにその筋はどうか、そのよいところはというのは書かない。というのは発売になったら読んでみることである。
 さて、ここでは、他の作品のことを述べて、来年の応募もまたよくいくことを祈る。
 まず、僕のこだわったのは松尾糸子の「土のハンター」である。
 これはごく若い女性かと思ったら、「宝石」に二、三、当選したことのある人だと聞いた。この描写の方法が、女でなければ出来ない。そして極めて新鮮である。殆ど投げやりの書き方であるが、これに手を入れたら新らしい魅力も出来よう。「土」のテーマも新らしいが、然し、これがこのままでは読みにくいところがある。
 「紙の爪痕」(花屋治)はテーマが外国証券のことで、これが本当にあったこと、又は本当になくても、真の事実としてあり得るなら、国際的の大問題で、推理小説にとり扱うのに絶好のテーマである。
 然し、出てくる総領事が、総領事としての貫禄に欠けているのは惜しく、又、事実としてあり得るかどうかを、財政通の長沼委員から説明されると、どうも根のうすい感じがした。
 「紙の墓碑」(垂水堅二郎)はユーモアのある数人の探偵というやり方は、捨て難い。これが昨年のうちに入っていたら、当選したかも知れない。というのは大下宇陀児がかなり本気で推賞していたのでも判る。
 「重い影」(谷達郎)は焦点がはっきりせず、何か暗くしてスリルが出せるとでも考えているのがよくない。
 下読みの委員がまちがえて、これを加えたのではないかと一寸思った位である。
 要するに当選者は勿論のこと、松尾、垂水、花屋にはどんどん書かして貰いたいものである。
(「宝石」一九六一年一〇月号)
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長沼弘毅[ 会員名簿 ]選考経過を見る
選後評

 予選をパスした作品は五編。毎年、一、二編どこか投げやりな作品があるものだが、今年はそれが一編もなかった。当落は別にして、敢闘賞ものばかりであったことは、嬉しいことである。
 「重い影」(谷達郎)全員一致で落とした。プロット全体が、作者の頭のなかでよくこなされていない。この作者の今の能力では登場人物が多すぎる。今後は、もう少し材料を集約して、屈伸自在の柔軟性を身につけることである。
 「土のハンター」(松尾糸子)土地の値あがりを当て込む着想はおもしろいのだが、これも咀嚼不十分。ごたつきすぎている。文字の使い方もひどい。話の運びに自然さがなく、木に竹をついだようなところがある。もう少し、ベルト・コンベアの動きを見つめてみること。「るみ」と「玲」とが入れ換わったりしていることは、作家としては致命的である。
 しかし、将来の楽しめる人である。
 「紙の爪痕」(花屋治)冒頭の写真屋のくだりからして、からくりの底が浅い。
 四分利付仏貨公債の国外流出の問題を主軸にしたことは、こういう方面のことに知識の眼を見張らせるが、あいにく、ぼくが役人当時、手がけた問題であったのがお気の毒だった。
 こういう問題は、もう少し、抜け目なく調べてかかること。工夫の努力は認めるが、この作家にはどこか脆いところがある。一人四役も、まだ無理だろう。アンカレジで、パリ線のスチュワーデスが入れかわるところなどは、不自然すぎる。乗組み員全部を買収しなければ、できることではない。パリに着いて短時間の間に人を殺し、つぎの便に乗る、――そう器用にはゆかないのである。(スチュワーデスは、出発何時間前から忙がしいか?)停電で電話が通じないというのは、どういうことか? パリの総領事が、ふらふら東京に現われるのもおかしい。しかし、この人も将来は楽しめる。
 「紙の墓碑」(垂水堅二郎)まず、何よりも「デイリー・ルポ」の四人組が明るく書かれているのが長所である。よく「足で歩いている」のもよろしい。連続殺人のそれぞれの場面に、案外不自然さがない点も、買われてよい。妙な数字が電話番号ではなく商品券のそれであったことも、一つの着想として受け取ってよいであろう。
 残るところは、検察審査会なるものを中心にして、岩西の買収行為、赤井弁護士の妻望月まり子の復讐決意に至るまでの、プロットの中軸に、どこか不自然な割り切れないところがある点である。
 まり子の使ったハンケチにはクロロフォルムが染み込ませてあったのだろうが、誰もその点に気を配らなかったのは、どうしたわけか。
 しかし、ぼくは最後までこの作家を捨てなかった。来年を期待したい。
 「枯草の根」(陳舜臣)一言にしていうと、「雰囲気の作品」である。この点では、(それにいうにいわれぬエクゾチズムもあって)一頭地を抜いている。悠々たるテムポは、近頃の青年のお気には召さぬかも知れないが、まさにオーソドックス。
 人間もよく描けている。ラーメン屋兼漢方医兼拳法家の陶展文、潔癖な徐名儀の二人はなかでも出色、徐名儀の物置の手紙を警察がなぜ捜さなかったかという点、徐名儀が、ある時点で変装した人間の吹き換えであったことが、具眼の読者には割れてしまう点など、いくらかの疵はあるが、見逃してもいい程度のものである。
 残る問題は、殺人の動機に今少し説得力を持たせたかったこと、クライマックスの盛りあげに、もうひと息工夫があって欲しかったことである。
 が、いずれにしても、応募作品中の白眉。将来すこぶる有望。
(「宝石」一九六一年一〇月号)
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選考委員

予選委員

候補作

[ 候補 ]第7回 江戸川乱歩賞   
『紙の墓碑』 垂水堅二郎(『紙の墓標』として刊行)
[ 候補 ]第7回 江戸川乱歩賞   
『紙の爪痕』 花屋治
[ 候補 ]第7回 江戸川乱歩賞   
『土のハンター』 松尾糸子
[ 候補 ]第7回 江戸川乱歩賞   
『重い影』 谷達郎