一般社団法人日本推理作家協会

推理作家協会賞

2017年 第70回
  • 長編及び連作短編集部門愚者の毒宇佐美まこと
  • 短編部門黄昏薬丸岳
2016年 第69回
2015年 第68回
2014年 第67回
2013年 第66回
2012年 第65回

推理作家協会賞を検索

推理作家協会賞一覧

江戸川乱歩賞

2017年 第63回
2016年 第62回
2015年 第61回
2014年 第60回
2013年 第59回
2012年 第58回

江戸川乱歩賞を検索

江戸川乱歩賞一覧

1962年 第8回 江戸川乱歩賞

1962年 第8回 江戸川乱歩賞
受賞作

おおいなるげんえい

大いなる幻影

受賞者:戸川昌子(とがわまさこ)

受賞の言葉

   受賞の言葉

 一介の読者でおりましたころは、気楽に推理小説を楽しんでいましたのに、書く身になってみますと、推理小説とは一体何なのだろうかなどと、しかめつらしく考えこむようになってしまいました。
 それで遅まきながら、読者に上手に推理を提供するのと、逆に読者の推理を上手に妨害する書き方と、大きく二つに分けられるのに気がつきました。
 この永遠の確執にも似た、矛盾撞着のバランスがたくみにとれたのが、面白い推理小説なのでしょうが、作家という呼び名にさいまごまごしている今の私などに、そんな小説の見当のつくはずもございません。アン・フェアだ、謎解きがないなどと言われるたびに、身のちゞむ思いがいたします。
 推理小説の定義にも、道路の通行区分帯のように、これは謎解き、これは意外性、これはショート・ショートの味といった分け方が決っていれば、さぞや気楽でしょうし、そうすれば唄をうたいながら、一番左の一番せまい区分帯を、よろけながらも楽しく走っておれますものをと、虫のよい夢想をするノイローゼぶりです。
 このたび、探偵作家クラブに入れていただいてこんなに嬉しいことはございません。
 ブロンズのホームズ像を目の前に置いて机の前に坐っておりますと、しみじみと受賞の喜びを感じます。
 こんな幸せがあってよいのだろうかという思いさえ湧いて参ります。せいぜい読書の量を増やして、探偵作家クラブのひとりとして恥かしくないように努めたいと思っております。どうぞ、よろしくお願い申しあげます。

作家略歴
1933~
東京生れ。都立千歳高校卒。
OL生活のかたわらアテネ・フランセに学びシャンソン歌手となる。一九六二年、「大いなる幻影」で江戸川乱歩賞を受賞。「猟人日記」「蒼ざめた肌」「蜃気楼の帯」「夢魔」「火の接吻」など長短編多数。海外で翻訳された長編が好評である。歌手やテレビ・タレントとしても忙しい。「子供は天使か小悪魔か」などエッセイ書も多い。一九八八年原作がオーストラリアで劇化、世界演劇祭に出品され、八五ヶ国中三位に入る。唄の店“青い部屋”も三〇年健在。後進の育成にも励む。

1962年 第8回 江戸川乱歩賞
受賞作

はなやかなしたい

華やかな死体

受賞者:佐賀潜(さがせん)

受賞の言葉

   受賞するまで

 僕が活字になる小説を書き出したのは、六年前である。僕は、歴史文学研究会に所属していたので、歴史小説を書くようになった。僕は、元々、日本歴史が好きだったので、弁護士でありながら、法律書を買わず、歴史書を買いあさった。
 歴史の中の人物を、自分なりに解釈して、一編の小説に仕立てることに、喜びを感じていたのであろう。僕は、長短十編位の小説を、三年ほどかけて書き上げた。その中の数編を同人雑誌に発表し、一人でほくそ笑んでいた。
 そんな折、結城昌治君が、寒中水泳という短編で、エラリクイン賞を取った。僕は、改めて、自分の小説を書く態度を反省した。結城君とは、昭和二十二年以来の友人である。彼も僕も、俳句をやっていたので、それが取り持つ縁だったのである。
 僕は、彼の受賞に刺激されて、推理小説を書く気になった。偶々、或る新聞から、法廷秘話を書けといわれ、六ヶ月ほど連載をつづけた。自分では推理小説の心算で書いた。これがキッカケとなって、週刊スリラーから頼まれ、長編二本を連載した。その頃、同誌に一緒に連載をしていたのが、水上勉氏の“巣の絵”と、大藪春彦氏の拳銃小説だった。水上、大藪両氏は、その後、華々しくデビュウしていったが、僕は、一向に芽が出なかった。僅かに婦人雑誌や、二・三の週刊誌に、小説を書いて、ウサ晴らしをしていた。
 結城君は、間もなく「髭のある男たち」を発表し、大いに文名をあげた。ある時、結城君が、都筑道夫さんを連れて、僕の事務所へきてくれた。都筑さんが、僕の小説を読んで、「佐賀さんの小説は推理小説じゃない。事件小説だ」といった。結城君が、外国作家の小説、十数冊をメモに書いて、「これを読んでみたら」といってくれた。
 僕は、文字通り夢中になって、外国作家の小説を読み、都筑さんの言葉を考えた。僕の頭の中に、おぼろげながら、推理小説の骨格がえがかれていった。
 僕は、招かれて他殺クラブへ出席した。この会合は、僕に大きな影響をもたらした。前記のお二人の外、多岐川恭、黒岩重吾、新章文子、佐野洋、樹下太郎、河野典生氏を知ったからである。僕は、佐野、樹下氏らと時々、会う機会を持った。両氏の雑談の中から、僕は、絶えず、何かをキャッチしようと努力していた。推理小説の真髄が、どこにあるか、僕は、経験のある検事の耳目で、一つ一つ心の中へたたみこんでいった。
 昨年の夏頃(三十六年)、或る出版社が、長編の書下しを頼みにきた。「いいものが書けましたら、おねがいする」と、僕は返事をした。僕は、その頃、日本の推理小説界に検事に視点を置いた小説のないのに気がつき、これをやってみようと考えていた。
 九月十七日から筆を起し、とにかくやれるだけやってみようという気持で書き進んだ。結城君が、僕の書いているのを、出版社の人から聞いて、「一ぺん、乱歩賞に出してみたら」といってくれた。僕は、決心がつかなかった。というのは、僕みたいな者でも、一つの自負があったのと、落ちたら、僕の原稿を買ってくれている雑誌社に申訳ない気持もあったのである。
 ところが、結城君は、どうしてもやれといってきかない。五百三十一枚の初稿を書き上げた時、僕の決意がきまった。十二月の下旬の頃である。僕は一切の依頼原稿を断った。
正月になって、初稿の書き直しをやり出した。書き足すことはやらず、削ることに専念した。ニ稿が出来上ったのが、今年の二月の末。更に、三稿をやり、やっと四月末の締切に間に合わせたわけである。
 受賞は、本当にうれしかった。
 思えば、結城昌治君の激励の賜物である。同時に、都筑道夫、佐野洋、樹下太郎氏等の友情のおかげであった。

作家略歴
1910~1970
東京生れ。中央大学卒。
福岡、東京などの地検検事を経て、戦後は弁護士事務所を開業。一九五九年、短編集「ある殺意」を刊行。つづいて「第三の殺人」「むらさきの女」などの長編を発表したあと、六二年に「華やかな死体」で江戸川乱歩賞を受賞した。「黒の記憶」「特捜圏外」「恐喝」など法律関係の作品を中心に作品多数。「民法入門」ほかの法律入門シリーズも話題を呼んだ。推理作家協会の顧問弁護士を務めた。

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選考経過

選考経過を見る
 昭和三十七年度の第八回江戸川乱歩賞は異例の二篇入選と決定した。その選考経過を次に略記する。
 四月末日の原稿締切に集まった長篇は昨年より十篇多く九十六篇であった。例年の通り、阿部主計、黒部竜二、氷川瓏、村山徳五郎、渡辺剣次の五予選委員が手分けをして通読した上、各委員がそれぞれ二、三篇の推薦作を持ちよって、六月二十三日、予選委員会を開いた。それには江戸川乱歩も出席して、推薦作品の全部を検討し、合議の上、下の六篇が予選通過作品と決定した。

 内田 正「山の唄」
 谷 達郎「道楽のすすめ」
 佐賀 潜「華やかな死体」
 戸川昌子「大いなる幻影」
 天藤 真「陽気な容疑者たち」
 塔 晶夫「虚無への供物」

 これをわれわれ選考委員が回読して、七月三十一日、最後の選考委員会を聞いたが、荒、長沼両委員は、それより少し前に外遊の途につかれ、その出発前に予選通過作品に目を通して、採点表を残して行かれたので、大下、木々、江戸川の三委員はその採点を参照しながら選考を行ったのである。選考の次第、各委員選評などは「宝石」十月号に詳記したので、ここには概略をしるすにとどめることとする。予選通過作品中「山の唄」と「道楽のすすめ」の二篇は先ず選外に落ちたが、残る四篇は委員の誰かが第一席に推していることがわかった。次の括弧内はその作を第一席に推した委員名である。そこで、それぞれの作品の各委員の点数を合計して平均点を出してみると、下の順位となった。

 「大いなる幻影」(木々、江戸川)
 「華やかな死体」(長沼)
 「虚無への供物」(荒)
 「陽気な容疑者たち」(大下)

 前の二篇と後の二篇の平均点には相当の開きがあったけれども、「大いなる幻影」「華やかな死体」はほとんど同点に近かったし、また、その作風は全く違っていて、それぞれに特徴があり、一つを採り一つを捨てることはむつかしかった。そこで、先ず木々委員から二篇入選としてはどうかという提案があり、合意の結果、他の委員もそれに賛成して、今年度に限り異例の処置として二篇入選と決定したのである。
 両作家の略歴はそれぞれの本の奥付を見ていただきたいが、先ず「大いなる幻影」についてしるすと、この作はシャンソン歌手という作者の職業から想像されるような作風とはおよそ違って、非常に凝った、よく考えた、「奇妙な味」の心理的推理小説である。女子ばかりのアパートに住む老女たちの不町議な生活が次々と描かれるが、それが最後の見事な二重のドンデン返しに導かれ、今まで無関係に見えたすべての挿話が、ことごとく犯罪事件に関係していたことがわかるという、実に巧妙な構成である。こういう味は日本人の作品にはあまり前例がなく、或る委員はこれを読んで、プロットは全く違うけれども、アルレエの「藁の女」の読後と似たものを感じたと漏らしたほどである。
 もう一つの入選作「華やかな死体」は上記の作品とは全く違った現実的な作風で、そこに際立った特徴がある。作者はもと検事で、今は弁護士を職としておられるが、その体験が十二分に織りこまれていて、強い現実感を出している。一つの殺人事件を検事の立場から順序を追って細叙したもので、捜査の経過につれて検事の一喜一憂、検事と警察官とのデリケートな関係、検事と弁護士とのかけひき、公判廷での証人調べ、弁護士の反対尋問などが経験者の強味をもって如実に描かれいる。また、この作品は法律批判の問題小説ともいうべきもので、現刑事訴訟法への疑義が主題となっている点が大きな特色である。
 従来の江戸川賞入選作家は、それぞれ特異の才能に恵まれ、入選以来活発な創作活動をつづけておられるが、今年度もまたこの異色の二作家を世に送り得たことを、われわれは甚だ欣快とするものである。
 昭和三十七年八月
閉じる

選評

荒正人選考経過を見る
「虚無への供物」を推す

 荒委員は海外旅行直前の多忙の中で予選通過作六篇を読まれたが、作品評を書くいとまがなく、ただ採点表のみを残して出発された。それを下記する。

 一位、塔 晶夫「虚無への供物」八五点
 二位、佐賀 潜「華やかな死体」八〇点
 三位、戸川昌子「大いなる幻影」七八点
 四位、天藤 真「陽気な容疑者たち」七五点
 五位、谷 達郎「道楽のすすめ」七二点
 六位、内田 正「山の唄」七〇点
(『宝石』一九六二年一〇月号)
閉じる
江戸川乱歩[ 会員名簿 ]選考経過を見る
「大いなる幻影」を推す

 私の予選通過作品六篇の順位と採点は次の通りである。

 一位、戸川昌子「大いなる幻影」八五点
 二位、佐賀 潜「華やかな死体」八〇点
 三位、塔 晶夫「虚無への供物」七八点
 四位、天藤 真「陽気な容疑者たち」七〇点
 五位、内田 正「山の唄」六〇点
 六位、谷 達郎「道楽のすすめ」六〇点

 「大いなる幻影」は犯罪の謎解きではあるが、普通の本格推理小説ではなく、私のいわゆる「奇妙な味」の加味された作風で、プロットが実によく考えてある。日本人の作品にはあまり前例がなく、私はこれを読んで、プロットは全く違うけれども、アルレエの「藁の女」の読後と似たものを感じたほどである。ある女子ばかりのアパートの幾人かの風変りな老嬢の身辺に起こる奇妙な出来事が次々と語られる。それはそれとして面白いのだが、こんな話が主題の犯罪事件と何の関係があるのかと疑問に思いながら読み進むうち、終り近くになると、二重構成のドンデン返しが用意されていて、今まで何の関係もないように見えた挿話が、ことごとく意味を生じてくるという、推理小説の最も大切なコツをよくわきまえた作風である。
 老嬢たちの幾つかの挿話をつなぐ小道具としてアパート全体のマスターキーが巧みに使われているのも面白いし、道路拡張のため、その大きなアパートを原形のまま移動させる工事があり、それが犯罪発覚に重大な関係を持っているのだが、この異様な風景が作品に一層の魅力を加えている。
 老嬢たちの不思議な生活と、犯罪の謎と意外性と、奇妙な味では前例のない特異の作品といっていい。
 「華やかな死体」は前記の作品とは全く違った現実的な作風で、そこに際立った特徴がある。作者は元検事で、今は弁護士を職としておられるが、その体験が十二分に駆使されていて、強い現実感を出している。一つの殺人事件を検事の立場から順序を追って細叙したもので、検事のいろいろな苦心、捜査の経過につれての一喜一憂、検事と警察官とのデリケートな関係、検事と弁護士との駈け引き、公判廷での証人調べ、弁護士の反対訊問などが経験者の強味で如実に描かれている。
 この作品は西洋の例でいえば、フィルポッツの「ファウンド・ドラウンド」などに似た法律批判の問題小説ともいうべきもので、現刑事訴訟法への批判が主題となっている点が大きな特色である。
 「虚無への供物」は文章と、その奥の物の考え方、教養などでは予選通過作六篇のうちでずばぬけている。作風は小栗虫太郎を狙ったもので、したがってチェスタートンやカーの系統に属する。それよりもクレイトン・ローソンやH・H・ホームズなどにもっと似ているかもしれない。二つの密室事件を提出し、それぞれ四つの解釈、つまり八通りのトリックを論議させたもので、推理趣味横溢、まことに楽しい作品であった。この作者は小栗虫太郎と同じく逆説と暗喩、暗合を好み、殊に暗合では「不思議の国のアリス」「赤き死の仮面」のそれぞれの色、植物の色、宝石の色から五色不動にまで及ぶ色の暗合を描いて、これでもかこれでもかである。小栗虫太郎と違う点は、この作品は小栗には乏しかった酒落と冗談に充ちていて、例えば、作中に私の「続・幻影城」や大下委員の「蛭川博士」が引用され、また、木々高太郎、荒正人の名が出てくるなど、長沼委員を除く全選考委員の名が織りこまれているのは、この作が冗談小説たるゆえんであろう。
 そういうわけで雰囲気と文章は甚だ推理小説的なのだが、作の中心である八つの密室トリックに、アッといわせるほどのものがない。それが物足りない上に、最後の幕切れが「犯罪はなかった」というので、しかもその説明が充分書かれていないのでは、読者はがっかりせざるを得ない。そういう大きな弱点があるので、推理小説的雰囲気や文章は申分ないのだが、私としては第三位に置かざるを得なかったのである。
 「陽気な容疑者たち」はやはり密室を扱った本格ものだが、トリックが機械的で、さして意表外でなく、機知の要素が少なく、平凡通俗の感じをまぬがれなかった。文章は「虚無への供物」についでよく書けていて、平易でユーモアがあり、たいへん読みやすかったけれども、文体にもオリジナルなものが感じられなかった。
 「山の唄」は謎解きの本格もので、筋は一応よく考えてあり、殊にサスペンスに巧みであった。作中人物がハッと或ることに気づき、今までの推理がくつがえったと書いたあと、その新推理をなかなか明かさないで読者をイライラさせる手法がしばしば使われている。しかし、或る場合は逆効果で、読者がとっくに気づいていることを、まだくどくどと考える描写がつづいて、もどかしい感じを与えることがある。だから、この作者のサスペンス手法は功罪相半ばしているといっていい。最後に冒険スリルの描写があるが、これも迫真力がある。しかし、この作は文章に変なところが多く、誤字も多い。この文章では或る程度筋がよくても、活字にして世に示す小説とはなり得ないと思う。
 「道楽のすすめ」誤字誤文は少ないが、文章の奥のもの、物の考え方、発想法などに変なところが多い。また、筋にもおかしいところがあり、推理の説明が不充分で、独り合点でわかりにくいのである。テレビの室内アンテナの方向の違いによって或るトリックを看破するところなど、なかなか面白いのだが、その或るトリックにしても、これを使わなければならなかった必然性がはっきり説明されていない。また、死体を木箱に入れたと見せかけて北海道へ往復させるトリックがあるが、これにも同じような疑問が残る。そうして、肝腎の最後の解明の部分が簡単すぎて、やはり独り合点で、わかりにくく、後味を強くしているのである。
(『宝石』一九六二年一〇月号)
閉じる
大下宇陀児[ 会員名簿 ]選考経過を見る
乱歩賞作品選後感

 いつもと違って今回は、この選評を書くのが気重い感じだ。というのは、私の選んだ作品「陽気な容疑者たち」が、他の選者の間ではまるっきり問題にされないという、喰い違いがあったせいだろう。
 この作品を私は第一に推した。点数でいうと八十点ぐらいだが、読んだ六篇のうちでは、小説としての形体がもっともよく整っている。文章もうまく、明るくユーモラスで、作中人物がそれぞれによく書き分けられていて、暖かい人情も含まれているうえに、密室殺人の謎もかなり丹念に構成されている。不幸にして、他の選者の点がひどく低い。そのため入賞しなかったけれども、私の好みには合うものがある。ということは、私の好みが他の選者とは大分違っている。ということを示しているわけだが、作者には今後を多く期待してよいのだろう。
 「陽気な容疑者たち」とはがらり変った感銘を私に与えたのは「大いなる幻影」である。点数は同じく八十点。(ついでにいうと、小説の価値を点数で現わすことに、私はあまり賛成ではない。が、そうしてくれという要望があったから、やむを得ず、点数をつけている)
 読みだしたときの感じでは、「大いなる幻影」は、章の配置、人物の行動と時間との関連、また文章などに、どこか乱雑な感じがあったし、途中に不条理な部分が挿入されているようで、どのようにして纏まりをつけるのか心配になったほどであるが、最後まで読み通すと、乱雑だったものも不条理だった部分も完全に消え失せてしまった。構成上、それは必要だったのである。ありていをいえば、私はうーんと唸った。それは謎解きとか推理とかの面白さとは違うが、一言にしていえば意外性の卓抜さによるものである。まだこのようなトリックがあったのか、と私は感心した。私が、だまし易い読者であるせいもあろう。しかしまったくびっくりした。これだけの驚きを与える作品は、そうざらには出ないだろう。
 「華やかな死体」での私の採点は、七十五点。
 読みやすい文章だし、一般には手のつけようがない法廷小説であって、とくに私たちだったら検事というものを、捜査の一機関としてしか書けぬところを、人間として書いている。その点で私は感心しながら、「大いなる幻影」にくらべて点を低くしたのは、サスペンスの置き方、盛上りなどにおいて、欠けるものがあるからである。小説ではそれは大切なことであろう。
 受賞作品に対しては非礼な言分になるかもしれぬが、私はこの作者の次の作品に、より多くの期待を持ちたい。
 次に「虚無への供物」は七十点。
 この作品については、小栗虫太郎に似て非なるもの、というのが、第一の感想だった。作者はたいそう物識りであり、また探偵小説をよく読み勉強している。けれどもそういう智識や蘊蓄が、生のまま正面に押し出されていて消化されていないのが惜しい。また私の好みとは正反対に、作中人物のすべてが、物語を構成し進展し説明するためのロボットにすぎぬ、という点もあって、作者の苦心は十分に思いやりつつ、点を低くせざるを得なかったわけである。
 「道楽のすすめ」と「山の唄」は、ともに面白い点がないではない。テレビのアンテナについての着想、濡れた草履からの推理など、なるほどなるほどと思わせたけれども、遠慮なくいえば、表現が誇大であったり冗長であったり、したがって点数は低くなった。以上妄言多謝。
(『宝石』一九六二年一〇月号)
閉じる
木々高太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
二つの賞はよかった

 僕は直木賞にも乱歩賞にも関係しているが、前者は短いのもまじっているが、後者はみな長いので閉口である。とくにつまらぬのを読むのはつらい。
 今年は、然し、二ついいのがあった。一つは戸川昌子「大いなる幻影」で、もう一つは佐賀潜の「華やかな死体」であった。結局、この二つは、僕の眼には一つも勝り劣りがないので、僕は絶対に二つ出す可きだと主張した。
 凡ての賞についてそうであるが、一作の方が重さが出ていいとか、濫賞と見られてはまずいとかいう考え方はあるが、そしてそれが常識らしいが、僕は或る年には一つもない、或る年には二つあるという形の方が好ましい。それは、その年の最上作という意味ではなく、一定の水準以上であるという信頼がある方が気持ちがよいからである。
 乱歩賞は曽つて一作もなしとして授賞しない年もあった位だから、今年二作どちらもよいというのなら、二作を賞に出す可きであるというのが、僕の理論だった。
 では賞金は切半するか。ノーベル賞などは切半している。然しそれは四五千万円の賞だから切半でもよいが、乱歩賞は切半は困る。同じ価値のものなら同じ賞金を出す可きである。これも僕はおかしくはないと思う。
 さて、この当選二作はどこがよいか。それは一本通っているからである。「大いなる幻影」
の方は、同じビルのうちにあるいくつかの人生とそのビルの移動というところが一本通っている。トリックはマスター・キーなのだが、これもアパートにしかないから、とってつけたような他のトリックとは異る。
 「華やかな死体」の方は、起訴のおくれが永久のキレ目で、みすみす犯人をのがさねばならぬという法の間隙をつこうという一本が最初から通っていたので、よみ終って、やはり「意外な解決」になった。これは逆手の意外である。
 僕が第三作にしたのが塔晶夫の「虚無への供物」であったが、これは点は、はるかに劣っていた。この作者は、もう一つ考えを回転して、余りもってまわり過ぎて何もなくなるという考え方を一度すてなければいけない。真の虚無となっては推理小説とはならない。虚無の一歩手前でとめるやり方を習ったら、この稀有な文体と、もってまわる筆とが、今度は大いにものをいうであろうし、愛されるであろう。
(『宝石』一九六二年一〇月号)
閉じる
長沼弘毅[ 会員名簿 ]選考経過を見る
一篇を読む

 長沼委員は海外旅行直前の多忙中に予選通過作品のうち三篇を読み、その採点と感想文を残された。下にしるす。

 佐賀潜「華やかな死体」八五点
 応募作品のなかでは、この作品が一番コムパクトなものになっている。検事と弁護士との法廷作戦という形をとっているが、検事―検察官の捜査が中心となっていることはいうまでもない。個々のトリックには格別新規なものはないが、いろいろの布石にソツはないし、コンストラクション上のスタミナの配分にも、まず成功しているといってよい。犯罪の動機を、金か痴情かの二つの大筋に絞って攻めていることも、平凡ながら、その過程においては読者の納得をかち得る程度の運びをみせている。ただ、その大詰めのところで、ある動機がはっきり決定的に浮かびあがって来ないのがもの足りないが、この作品の結末がふつうの大団円とはなっていない点と照応させてみると、あるいはこれでよいのかもしれない。
 ここで、特に眼についた欠点を指摘しておくと、その第一は、高利貸の番頭(人見)が、二千三百万円の預り金のメモを忘れて来て平然としていること、その第二は、つぶれかかった文芸座などという劇団が日歩十五銭というベラ棒な高利で一千万円を借り受けるという事実(返済の見込、全然なし)―いずれも常識の線には、全然乗り得ないことで、こういう作為に不注意だったことが、この作品の大きな破綻を招いている。
 さらにきびしくいえば、須藤警部補という妙に冷たいおもわせぶりの態度をとる人物を折角出しておきながら、まったくの不発弾に終わらせているのも、勿体ない話である。私学出の検事の出世欲と勝利感敗北感を内面的に描こうとした意図はよくわかるが、これがくどすぎて、自分の公職と私心との混淆のような感じを与えることは得策ではない。コムプレックスのくりごとといった印象を与えはしないか。弁護士と検事との立場とか制度の説明とかいうことは、事件の本筋からはずれたものなのだから、あっさりカットすべきものであろう。
 以上は、作家に対する望蜀の忠言と受け取っていただきたい。前途すこぶる有望な作家である。

戸川昌子「大いなる幻影」八五点
 ずいぶん考えた作品だと思う。自分の持っている能力を十分に生かした作品である。女子アパートという設定も悪くない。登場人物も、元女教師、元ヴァイオリニスト、変態女、元学者の未亡人、新興宗教の信者、外人と結婚して別れた女、その子供の誘拐事件、二人の女管理人、アパートそのものの移動など、セッティングとしては、十分すぎる。それぞれの人間も、一応描かれていて、異色がある。
 ただ、いろいろな出来事の一つ一つに、抜き差しならぬ必然性が欠けていて、偶然が拠りどころになっているのが、致命的である。長編を書くには、挿話と挿話の間をつなぐ、セロテープが必要と心得べし。犯罪の動機が、いささかぼやけていて、説得力を欠いているのも気にかかる。誤字脱字の多かったり、人名を間違えたりするのは、作品以前の問題である。が、いずれにしても、ぼくはかなり楽しませてもらった。たしかに、一つの佳作である。

谷達郎「道楽のすすめ」六〇点
 刑事と犯人とを中学の同期生に仕立てたのは、ちょっとした着想であり、テレビのアンテナの向きを問題にしたことも、おなじくちょっとした着想である。トリックを、あれこれ工夫した努力を買わないではない。だが、この作家は、作品全体のコンポジションに失敗している。三百三十枚の原稿のうちの百枚程度は、読者を飽きさせるだけで、これでは、サスペンスを盛りあげるタイミングが狂っているとしか考えられない。刑事をパチンコ気違いにして、過当の紙数をパチンコ談義に費しているが、それほどの必要があるとは、おもえない。また事件に関係のない描写が夾雑物となって、全体のテムポをおそいものにしている。さらに、一旦登場させた人物には、なにか意味を持たせなければならないのだが、いつの間にかなんとなく消えてしまう人物がいる。文章の歯切れも悪い。登場人物の名前を間違えたりしている(田村を田口)のは、単なる誤記だろうが、これは絶対にいけません。
 作家の作為が目立ちすぎて、現実感が伴わないのが致命的である。
(『宝石』一九六二年一〇月号)
閉じる

選考委員

候補作

[ 候補 ]第8回 江戸川乱歩賞   
『山の唄』 内田正
[ 候補 ]第8回 江戸川乱歩賞   
『道楽のすすめ』 谷達郎
[ 候補 ]第8回 江戸川乱歩賞   
『陽気な容疑者たち』 天藤真
[ 候補 ]第8回 江戸川乱歩賞   
『虚無への供物』 塔晶夫