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2022年 第75回 日本推理作家協会賞 評論・研究部門

2022年 第75回 日本推理作家協会賞
評論・研究部門受賞作

たんぺんみすてりのにひゃくねん

短編ミステリの二百年 一~六

受賞者:小森収(こもりおさむ)

受賞の言葉

『短編ミステリの二百年』は、様々な人たちの支援と助力の上に出来上がっています。収録短編の翻訳を引き受けてくださった、深町眞理子、猪俣美江子、直良和美、藤村裕美、門野集、白須清美の各氏。編集部内で支えてくれた小浜徹也、桑野崇、宮澤正之の各氏。伊藤朗子、菅治代、佐藤瞳、添田理沙、田中久紀子、田中睦美、外岡千代子、平賀寿子、星野真理、他匿名希望の五名を含めた校正各位。なにより、ウェブでの長期連載から書籍化まで、この出版社でなければ辿り着けなかったという意味で、東京創元社という出版社。皆様に感謝いたします。52年前、初めて読んだ文庫本が、創元推理文庫の『カナリヤ殺人事件』でした。そこから、さらに遡ること2年。愛読していた月刊漫画雑誌が廃刊になり、手持無沙汰にしていた私に「怪盗ルパンでも読んだら」と口をすべらせたのが、私の姉でした。おそらく、この一言にもっとも感謝しなければならないのでしょう。

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選考経過

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 第七十五回日本推理作家協会賞の選考は、二〇二一年一月一日より二〇二一年一二月三一日までに刊行された長編と連作短編集、および評論集などと、小説誌をはじめとする各紙誌や書籍にて書き下ろしで発表された短編小説を対象に、前年一二月よりそれぞれ予選を開始した。
 長編および連作短編集部門と短編部門では、例年どおり各出版社からの候補作推薦制度を適用。本年度から長編および連作短編集部門では予選委員による推薦も採用した。なお、推薦枠を持たない出版社からの作品については、従来どおり予選委員の推薦によって選考の対象とした。
 長編および連作短編集部門では六〇作品、短編部門では八四八作品、評論・研究部門では二六作品をリストアップし、協会が委嘱した部門別の予選委員がこれらの選考にあたり、各部門の候補作を決定した。
 本選考会は四月二十五日(月)午後三時より集英社アネックスビルにて一部ZOOMによるリモート参加を含め開催した。
 長編および連作短編集部門は選考委員・今野敏、柴田哲孝、恒川光太郎、湊かなえ、柚月裕子、立会理事・月村了衛。短編部門と評論・研究部門は、選考委員・門井慶喜、北村薫、法月綸太郎、馳星周、薬丸岳、立会理事・真保裕一。各部門ごとに選考がおこなわれた。
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真保裕一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
短編部門
『手綱を引く』はキャラクターがよく書けていながらも短編として収まりの悪い部分が見られ、連作として読まれる作品ではないかとの意見が出た。『光を描く』は伏線の手さばきを評価されたものの、作者の計算として登場人物を減らしたためか、大人が出てこない点に疑問が投げかけられた。『コージーボーイズ、あるいは謎の喪中はがき』は筋運びの筆力をまず評価された。が、肝心の喪中はがきの必然性やアイディア先行が目立つと問題視されて、選外になった。受賞した二作品は最初の投票で高得点を得たものの、弱点を強く主張する委員がいて、真っ向から対立した。ミステリのロジックと小説の味わい、それぞれの側面をどう評価すべきかの議論が続けられたが、どちらも〝推理小説〟の面白さだろうと指摘する委員が多数になり、二作受賞に落ち着いた。

評論・研究部門
『短編ミステリの二百年』が最初の投票で文句なしの満票を獲得した。この作品を顕彰してこその推理作家協会賞、と論じる委員もいて、熱い支持が集中した。そのぶん、残る三作品は割を食う形となった。
『探偵小説と〈狂気〉』は純粋な論文で、読者を意識しない記述と、〈狂気〉の定義が曖昧に思われる部分が惜しまれた。『犬神家の戸籍』は戸籍の専門家らしい着眼点の面白さと論考の進め方が好感を持たれたが、ミステリの論評部分が少なく残念との意見があった。『星新一の思想』は労作で、入門書としても楽しめると評価された。ただ、受賞作の迫力に押されて、票が伸びなかった。
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選評

門井慶喜[ 会員名簿 ]選考経過を見る
[短編部門]
 逸木裕さん「スケーターズ・ワルツ」を推しました。どんでん返しの切れ味もさることながら、そこへ行くまでの準備が秀逸です。謎と謎ときの基礎の上に、登場人物の心理の層、クラシックの演奏法の層、ドイツ料理のにおいの層等をていねいに重ねがけして読みごたえがある。人を殺さずともサスペンスは成立し得るという好例を示した点でも貴重な一作になりました。
 大門剛明さん「手綱を引く」は、私には今回の次点でした。何といっても桐谷君です。頼りない若造警官にすぎなかった彼がラストで主人公の行為の秘密を見やぶる。突然だけれど不自然ではない。かんじんの謎づくりで基礎工事が不足したため授賞には至りませんでしたが、こういう人物をひとり造形しただけでも短編としては成功なのだと思います。
 大山誠一郎さん「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」は、ときどき文章が雑になることが気になりました。ですが謎の設定、およびその解決の手際のあざやかさは文句のつけようがなく、それを理由とする授賞の動議にも賛成した次第です。
 杉山幌さん「光を描く」は、甲子園ものの定型というべき作品でした。エースへの羨望、まっすぐな正義感、九回裏の攻防……あらかじめ出るだろうと思ったカードが一とおり出て、それ以上のものがない。書き手の技術の高さのわりに全体の印象が薄いのは、そのへんに理由があるのでしょう。
 笛吹太郎さん「コージーボーイズ、あるいは謎の喪中はがき」は物語の実現可能性において首をかしげる点がありました。一種のファンタジーとして読むべきなのでしょうが、そのぶん賞の対象となると感触が弱くなりました。

[評論・研究部門]
 評論文を書くことだけが評論ではない。アンソロジーの編纂もその一種だと私はかねて考えています(文学賞の選考も)。今回は小森収編『短編ミステリの二百年』全六巻の壮大でしかも具体的な世界を推しましたが、そんなわけで私の頌辞の対象は、編者はもちろん、翻訳、校閲、編集等すべての関係者におよびます。この特異な姿の作品をあえて候補にした予選委員の見識に敬意を表します。
 遠藤正敬さん『犬神家の戸籍』は、たいへんおもしろい本でした。文章がたくみで安心して読める。ただこれは歴史論です。横溝正史『犬神家の一族』は話のきっかけにすぎず、主題はやはり著者お得意の戸籍論、近現代日本社会論にある。そのため文学賞である本賞の対象にはなりづらいかと判断しました。作品の質とは関係ありません。
 鈴木勇作さん『探偵小説と〈狂気〉』は、収録各編で〈狂気〉の内容がぜんぜん違う。ときに人間ひとりの精神病を意味し、ときに時代の常識の不条理を意味するとあっては、全体の統一感が得られないのは仕方ないことでした。
 浅羽通明さん『星新一の思想』は星新一の各編をとりあげる順番が構成的な意味で緊密でなく、単なる連想でものを言っているように見えるのが惜しいところでした。
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北村薫[ 会員名簿 ]選考経過を見る
[短編部門]
「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」を推した。同時刻殺人という、本格ミステリでも類例の少ないテーマに挑んだことは、評価されていい。類例が少ないのは、犯人にとって、労多くして報われることのない、およそ非現実的犯罪だからである。先人も、怪しげな宗教者が分身の犯行と主張する―などと、小説化に苦労してきた。大山氏は、得意技ともいうべき、食事消化の件をうまく使い、ミステリならではの、嘘の楽しさ、作り物の面白さを十二分に味あわせてくれた。二つの容疑がぶつかった時の警察の様子も秀逸である。
 次点を「コージーボーイズ、あるいは謎の喪中はがき」とした。過不足なく、綺麗にまとめられていた。パズラーをより重視したわけではない。しかし、そちらの物差しで測ったときの、この二作の仕上がりに対して、他の三作は、それぞれ美点はあるものの、気になる箇所もあり、一歩をゆずる形になった。
「時計屋探偵」と傾向の違うものとして、「スケーターズ・ワルツ」を合わせて授賞作としてはどうか、という提案があり、最終的にはそれに賛成した。

[評論・研究部門]
『犬神家の戸籍』は、戸籍に関して教えられるだけでなく、「横溝家の戸籍」で作家横溝に迫るなど、ミステリ論として読ませる部分があった。
『探偵小説と〈狂気〉』は、《佯狂》というテーマなら、普通は久生十蘭の「ハムレット」を取り上げ、狂気と逃避、逃走などから、山村正夫の「断頭台」に繋げるといった筋がすぐ浮かぶ。しかし、「川越次郎兵衛」に持って来るなど、独自の着眼にひかれた。《狂気》に関する作品と関連づけて、当時の資料を、見られる形でならべてくれたのはありがたかった。
『星新一の思想』は、先行する伝記と別の面を見せたところに、語りたいことを持つ人の強さを感じた。
 しかし、『短編ミステリの二百年』は、一巻が出た時、この完結まで生きていたいと思わせただけの、偉業である。
《江戸川乱歩編『世界推理短編傑作集』全五巻を引き継いで、その後の時代をふり返るのが目的である》と著者はいう。乱歩は、読者に妥当な道しるべを与えることを考えた。これに対し、小森氏は自らの読みを如実に示す。その様がスリリングだ。それを支えるのは、横には、信じ難いほどの読書量と観劇などを含めた知識、それを詳細に記憶している頭脳の厚みである。さらに、自らの鑑賞眼の変化について、若い時の読みと今の読みを比較して示す、縦の幅広さもある。
 かつて第一回江戸川乱歩賞は中島河太郎の『探偵小説辞典』に、第五十二回推協賞は、森英俊の『世界ミステリ作家事典』に与えられた。ミステリを知るための、希有の手掛かりとしての評価であった。
 ここにまた、後世に残る指針を得ることができたと思い、これを推した。
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法月綸太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 まず短編部門の授賞作から。「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」は、トリックを成立させるギリギリの線まで表現を削ぎ落とした本格のイデアのような秀作。朴訥に見える文体も解決に紛れや濁りが生じないよう、慎重に吟味されているのが分かる。トリックメーカーとして定評のある作者でも、この境地に達するには相当な覚悟を要したはずである。
 もう一編の「スケーターズ・ワルツ」は話運びがこなれていて、構図の反転も鮮やかだった。好き嫌いの範疇で言えば、こういう作為的な「自分騙り」の拗らせ方はあまり好みではないのだが、巧みな話術とテクニカル要素を評価して二作授賞が妥当であると判断した(作中の「マエストロ」という呼称にもっと複雑なニュアンスがこめてあれば、奥行きが増したのではないだろうか)。
 次点に推したが選に洩れたのは「コージーボーイズ、あるいは謎の喪中はがき」。軽妙洒脱な娯楽短編で、真相とその前のダミー解決の振幅が小気味よい。「光を描く」はバディ青春ものの王道ながら、高校野球ミステリとしては直球すぎて工夫が足りない。チームメイトや監督が空気なのも首を傾げる。警察犬を題材にした「手綱を引く」はオムニバス長編の予告編みたいな書き筋で、短編ミステリの結構としては最後までちぐはぐな印象を拭えなかった。
 評論・研究部門では、全選考委員が一致して『短編ミステリの二百年1~6』を高く評価した。翻訳ミステリ短編の通史を記述するという偉業をなし遂げた労作で、先行する乱歩編のアンソロジーより扱う範囲は広い。ディテクションの小説とクライムストーリイの拮抗を縦軸に、雑誌マーケットの盛衰を横軸に配し、夥しい数の作家・作品を論じていく途方もない作業は「翻訳ミステリ短編が輝いていた時代」へのレクイエムのようだ。編者の個人史に依拠する「小森史観」の是非については今後の議論に委ねるとして、個人的には〈ウィンターズ・クライム〉評を通じて「アンソロジー+評論」という出版形態の意義を再確認する6巻の記述に啓発された。
 残りの候補作について。『星新一の思想』は入門書を目指したせいか、星作品の現代性や予見性、病跡学といった分かりやすい議論に寄せすぎ、かえって解釈の幅を狭めてしまった憾みがある。『犬神家の戸籍』は横溝関連本の変わり種かと思いきや、『犬神家の一族』の複雑な人間関係×近代日本の家族制度史というマッチングの妙で読ませる。立法・行政に関するディープなトリビアも面白かったが、推理作家協会賞とはちょっと畑が違うようだ。『探偵小説と〈狂気〉』は多面的な視点から、近代日本と探偵小説の関係を探る論文集。アカデミックな論文作法に忠実な分、テーマの当たり外れが大きく、全体に間延びした印象を受けた。土を耕し種を蒔いた段階だと思うので、じっくりと苗を育てて花と実をつける日を待ちたい。
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馳星周[ 会員名簿 ]選考経過を見る
「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」は問題作ではある。
 パズラーとしては優れているが、小説としては越えてはいけないラインを超えているのではないか。
 ある選考委員からそうした疑義が出たのもうなずける。しかし、これは日本推理作家協会賞であり、この賞でなければ評価できない作品であるのもまた事実だ。
 パズラーとして優れていればなにをしてもいいのか。なによりもパズラーとして優れていることを評価し、瑕には目をつぶるべきなのか。
 多いに迷ったが、わたしは後者を選んだ。
 繰り返すが、本賞は日本推理作家協会賞なのである。
「スケーターズ・ワルツ」は真逆の作品といってもいいだろう。ミステリとしては大きな瑕がある。しかし、小説としては読み応えがある。
 どちらにも瑕があるなら、二作受賞でいいのではないかと思い、選考会に臨んだが、わたしと同じ考えの選考委員が多かったようだ。
「コージーボーイズ、あるいは謎の喪中はがき」は楽しく読んだ。だが、いかんせん、軽い。この軽さは賞の選考レースでは不利に働く類いのものだ。
 小説の質が劣っているわけではない。ただ、不利だっただけだ。
 残りの二作品は、わたしには失敗作としか読めなかった。受賞した二作が頭ひとつ抜けていたと思う。
 評論部門は『短編ミステリの二百年』だけを推すと決めていた。大作であり、労作であり、秀作である。集められた小説から、小森氏の解説まで、ほとんど隙がない。時間があまりないというのに、第一巻から最終刊まで一読者となって読み切ってしまった。
 これに賞を与えずして、なにが推理作家協会か。
 わたし以外の選考委員もみな同じ考えだった。
『星新一の思想』は労作ではあるが、書き手自らが未来予知だのアスペルガーだのといった縛りを設けてしまい、それが評論としての広がりを失ってしまったのではないかと思った。ただ、これを読んでいて星新一のショートショートを読み返したくなったのは事実であり、新しい読者に向けた評論としての意義はあるのだろう。
『探偵小説と〈狂気〉』は評論ではなく論文である。
『犬神家の戸籍』もまた文学評論ではなく、戸籍に関する学問へのひとつのアプローチである。横溝正史がこれを読んだら「知らんがなと呟くのではないかと思った。
 候補作が送られてきたときは、その膨大な量に圧倒されたが、『短編ミステリの二百年』を読むのは至福のひとときだった。
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薬丸岳[ 会員名簿 ]選考経過を見る
[短編部門]
「手綱を引く」
 警察犬の物語としては興味深くおもしろく読んだが、謎の提示から解明までが後半三分の一ほどで展開され、ミステリーとしてはやや物足りないという印象を抱いた。また愛犬に対する思いの強さは理解できるものの、警察官としてもっと他にやらなければならないことがあるだろうと、主人公の職業倫理や矜持に疑問を抱かざるを得なかった。
「光を描く」
 人物造形などしっかりと描かれ、高校野球を舞台にした青春小説として読むと爽やかな読後感をもたらす物語だと思えたが、首謀者が容易に想像できてしまい、また動機に関しても意外性が感じられなかったのが残念だった。
「コージーボーイズ、あるいは謎の喪中はがき」
 軽妙な会話が楽しく、話の運びやロジックもミステリーとして整っている作品だと思えた。ただ、二〇二一年に発表された作品で二〇一二年の謎を扱うというのは、『蛇』という一発のアイデアありきで、謎の作り方としてはやや安易ではないかと感じられ、強くは推せなかった。
「スケーターズ・ワルツ」
 音楽描写も含めて文章が巧みで、また後半の反転や伏線などもしっかりしており、完成度の高い短編ミステリーだと一番に推した。
「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」
 アリバイトリックについては胃の内容物にきちんと言及されていることも含めてよくできていると感心したものの、殺人事件の被害者の足取りを確認する際に所持していたレシートのみで判断するなど警察の捜査の杜撰さがとても気になった。 
 選考委員の間で「スケーターズ・ワルツ」と「時計や探偵と二律背反のアリバイ」の評価が分かれ議論が重ねられたが、作品の傾向がまったく違うもののそれぞれに魅力を備えた作品だという結論に達して二作同時受賞となった。逸木さん、大山さん、受賞おめでとうございます。

[評論・研究部門]
『短編小説の二百年1~6』
 圧倒的な情報量で熱量の高い評論。知らない作家や作品も多く、その考察がどこまで的確であるかの判断は難しいですが、海外の古典ミステリーに造詣の少ない自分が読んでも、それらの作家や作品に強い興味を抱かせる貴重な評論だと思い、一番に推しました。何よりこれだけの労作を紡いだ著者に敬意を表します。小森さん、受賞おめでとうございます。
 次に推したのが『星新一の思想 予見・冷笑・賢慮のひと』。現代社会を通して星新一さんの作品の魅力や先見性について多くの世代に向けてわかりやすく伝えていることに好感を抱いたが、同時に現代に寄せ過ぎているために解釈を狭めているのでないかという他の選考委員の意見に首肯した。
『犬神家の戸籍「血」と「家」の近代日本』と『探偵小説と〈狂気〉』はそれぞれ面白い切り口で、興味深く読み進めたが、ミステリーの評論としては物足りなさを感じた。
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立会理事

選考委員

予選委員

候補作

[ 候補 ]第75回 日本推理作家協会賞 評論・研究部門  
『星新一の思想 予見・冷笑・賢慮のひと』 浅羽通明
[ 候補 ]第75回 日本推理作家協会賞 評論・研究部門  
『犬神家の戸籍 「血」と「家」の近代日本』 遠藤正敬
[ 候補 ]第75回 日本推理作家協会賞 評論・研究部門  
『探偵小説と〈狂気〉』 鈴木優作