一般社団法人日本推理作家協会

推理作家協会賞

2017年 第70回
  • 長編及び連作短編集部門愚者の毒宇佐美まこと
  • 短編部門黄昏薬丸岳
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2007年 第53回 江戸川乱歩賞

2007年 第53回 江戸川乱歩賞
受賞作

ちんていぎょ

沈底魚

受賞者:曽根圭介(そねけいすけ)

受賞の言葉

 大学時代、「サラリーマンにはならない」と決めました。夢があるわけでは無かったので、とりあえず身を持ち崩し、退路を断つことにしました。小心なため、就職すれば定年まで勤めてしまう、と思ったからです。
 大学を中退した時は、「これで道を外れた」とホッとしました。それでも念のために、仕事は、傾いたサウナの店員を選びました。案の定店は潰れ、漫画喫茶の店長になりました。「いい感じだ」と思ったのも束の間、時流に乗って、支店が増えていきました。給料と役職が上昇し始めたことに危機感を抱き、辞表を出しました。ハローワークに通い、近所の主婦の冷たい視線を浴びて、人心地が付きました。公園でアンパンと水だけの食事をしながら、「とうとう俺もここまで来たか」と感慨に耽っている時、ふと気が付きました。いつの間にか身を持ち崩すことが人生の目的化している。
 一念発起して図書館に通い、鉛筆舐め舐め小説を書き始めたのは、二年前です。期せずしてこんな大きな賞をいただき、ただただ恐懼しております。
 物書きといえばサラリーマンと違い、才能とペン一本で世を渡る、明日をも知れぬ不安定な職業。まさに若い頃より望んだ生き方です。まだ作家の端くれですらない私ですが、その末席に名を連ねるべく、一作一作丁寧に書いていこうと考えています。最後になりましたが、選考に携わったすべての方に、この場を借りてお礼申し上げます。

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選考経過

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 本年度乱歩賞は、一月末日の締切りまでに応募総数三百四十三編が集まり、予選委員(青木千恵、佳多山大地、香山二三郎、杉江松恋、古山裕樹、細谷正充、吉野仁の七氏)により最終的に下記の候補作五編が選出された。
  <候補作>
聖クレーマーの憂鬱    横席 大
暗き情熱のアレーナ    下村淳史
沈底魚          曽根圭介
ロスト・ソルジャー    松浦茂史
ゼロ・ゼロ        及川孝男

 この五編を五月十四日(月)午後三時より、第一ホテル東京において、選考委員の綾辻行人、大沢在昌、恩田陸、真保裕一、天童荒太の五氏(五十音順)の出席のもとに、慎重なる協議の結果、曽根圭介氏「沈底魚」を本年度の江戸川乱歩賞と決定した。授賞式は九月二十一日(金)午後六時より帝国ホテルにて行われる。
 なお、曽根氏は応募時、駄目狷介の筆名であったが、受賞決定後に筆名を変更された。
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選評

綾辻行人[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 松浦茂史『ロスト・ソルジャー』を、僕は最も面白く読んだ。松浦氏は前回も『メッセージ』という作品で最終候補にあがっているが、比べて進境著しいものがある。語り口も演出も格段に巧くなっているし、何よりもまず、読者を楽しませよう、もてなそう、という意識・配慮がよく感じられる原稿で、今回の候補作中にあっては特に、この点だけでも充分に評価に値するだろう。沖縄の現実をある側面から捉える眼差しも興味深いし、全体を貫くテーマ性にも共感を覚えた。――が、ディテールにリアリティがない、インターネット方面の認識が甘すぎる、等々の問題も否めないところで、それらに目を瞑って強く推しきることはできなかった。残念だが、確かな力を持った人だと思う。この場を借りてエールを送っておきたい。
 『聖クレーマーの憂鬱』の横関大氏も、前回の『ライダーズ・ハイ』に続いて最終候補にあがってきた。あるレベルの面白さには達しているのだが、今回も前作とほとんど同じ欠点が見受けられる。書ける人だと思うので、ここは一度、これまでの創作法を全面的に見直してみてはいかがだろうか。
 及川孝夫『ゼロ・ゼロ』は唯一のクラシカルな本格ミステリ作品。作者の、このタイプの小説への情熱はよく分かる。しかしながら、全体の三分の二に至ってようやく発生する事件までの道行きがあまりにも平板すぎはしないか。そこに詰め込まれた術学趣味の過剰さが深々と物語に結びついているとも思えないし、かてて加えて、明かされる事件の構図が長編としては大いに物足りない。
 下村淳史『暗き情熱のアレーナ』。「闘牛のことはよく調べましたね」というのが率直な感想である。単身スペインに渡った日本人女性が女闘牛士をめざす大筋が前に出すぎてしまい、推理小説としての面白さを殺ぐ結果となっているのがたいへん気になった。
 曽根圭介『沈底魚』については、「ごめんなさい、分かりませんでした」と正直に述べておこう。エスピオナージにしても国際謀略小説にしても、まったく受け付けない体質ではないはずなのだが。この『沈底魚』にはしかし、僕は根本的なところで強い拒否反応を示してしまった。物語の進められ方が“後出しジャンケン”的にすぎることが、その主たる原因か。だが、これを積極的に評価する複数の選考委員がいるとなると、自分にはこの作品を楽しむ適性がなかったのだろうと潔く認めねばなるまい。そう判断し、最終的には授賞に同意した次第である。
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大沢在昌[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 『聖クレーマーの憂鬱』を期待を持って読み始めた。昨年の最終候補者で、会話や文章のうまい人だという印象があったからだ。が残念ながら、昨年と同じ過ちをくり返している。それは犯人像の造形だ。社会的地位のある人間が殺人を犯すとすれば、杜撰なトリックを用いるとは思えない。凶器にビリヤードの白球を使い、それをまた社長室に戻しておく、という行動はありえない。刑事の描写も失敗している。言葉づかいは乱暴だし、交渉役の社員に暴力をふるうなど、あまりにリアリティが欠如していた。主人公の造形もひねったつもりが、うまくいっていない。考え過ぎ、作り過ぎで隘路にはまりこんでしまったようだ。
 『暗き情熱のアレーナ』は、スペインと闘牛に関する作者の知識が、ヒロイン像と矛盾していることに気づくべきだった。わずか一年足らずで、運動経験もない女性がプロの闘牛士になる、というのはいくらなんでも説得力がない。また闘牛の興業主が裏でコカインをさばいているという設定はおもしろいが、最も逮捕の危険が高い、いわば消耗品の末端密売人に現役の闘牛士を使うことはありえないだろう。
 『ゼロ・ゼロ』は、物語に不要な会話が多すぎ、その術学趣味がうまく機能していない。色盲で替え玉がばれるというトリックは、本人が色盲であることを隠そうと意識していたら成立しない。乱歩賞候補作では久しぶりの本格推理小説だっただけに、失望させられた。
 『ロスト・ソルジャー』は、話作りがおもしろく、作者の努力と進歩(この方も昨年の最終候補者だ)がうかがえた。だが物語を支えるだけの筆力がまだ作者に備わっておらず、どこか幼さがある。CIAの下請け工作員である主人公が、声に出して「嫌なことを思いださせやがって」と独り言をいうなど、わざとらしい描写で損をしている。また、米軍へのテロと受けとめられるであろう犯行声明をホームページにアップすれば、まちがいなく警察は身許をたどってくる。こうした詰めの甘い箇所がところどころにあり、損をした。
 受賞作『沈底魚』は、職業として公安刑事を勤める男たちの描写が秀逸である。無理に話を派手にしていないところもよく、五味というベテラン刑事の存在感は際立っていた。ただエスピオナージュのはまりがちな罠、「最初から何もしなければ、何も起こらない」におちいっているのが少し惜しかった。だが物語にふさわしい、抑制された筆づかいは、「大人のミステリ」といえ、近年の乱歩賞にはなかった良質のスパイストーリーを受賞作とできたことは、喜ばしい。
 おめでとうございました。
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恩田陸[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 選考委員になるにあたり、ここ十年くらいの受賞作を読んでから今回の候補作を読んだ。今回の候補作より優秀な作品を書いた受賞者でも、プロとしてやっていけている人は少ないのが実情。応募する方は、過去の受賞作もライバルになると考えてほしいです。
 『ゼロ・ゼロ』はタイトルが意味不明。ペダンティックなミステリが書きたいのか、人間ドラマが書きたいのか分からない。「赤ニシン」という用語を使っている割には伏線がバレバレ。だが、この作者、妙な情熱を感じた。もっと弾けて変なミステリを書いたら面白いかもしれない。
 『ロスト・ソルジャー』は、沖縄米軍基地に半旗を掲げさせるために兵士を誘拐するというアイデアが面白い。伸びやかな話作りに好感が持て、将来性を感じる。けれども、いかんせん文章がとても類型的で幼い。市場のシーンなど、もっと沖縄の雰囲気が漂っていれば更にスリルが増しただろうに。登場人物がみな善人。作者の人柄の良さゆえと思うが、それがこういう陰謀ものの場合、どうか。どうしても主人公が五十代の男性には思えなかった。
 『暗き情熱のアレーナ』。闘牛の場面の描写が素晴らしく、そこの描写だけでいえば応募作随一だと思う。それだけに、ヒロインの設定がかなり不自然で、あまりの落差にとうとう話に没頭できなかった。
 『沈底魚』は、乱歩賞には珍しいエスピオナージものとして期待したし、地味な話ながら面白く読んだが、元自衛官や元外交官がリアルで面白い小説やノンフィクションを発表しているこんにち、そういうものと読み比べると細部のツメが甘く感じられてしまう。それでも、若林や五味といった登場人物の設定にリアリティがあり、マンボウのシーンなどとても印象的で忘れ難いものがあったので、授賞には反対しなかった。
 『聖クレーマーの憂鬱』が、私の採点ではいちばん点数が高かった。キャラクターがきちんと描き分けられていて、読者として安心して読めたし、少年野球の試合が誘拐事件の個人的なタイムリミットになるところが面白いと思った。しかし、あまりにも無難すぎていろいろな先行作品が頭に浮かんでしまったのも事実である。オリジナリティと活きの良さという点では首をかしげざるを得ず、積極的に推すことはできなかった。この人のバランス感覚の良さは、むしろシナリオ向きではないかという気がする。
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真保裕一[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 新人の原稿には、ある種の過剰さを望みたい。過剰さとは、すなわちエネルギーのことだ。作者が誠心誠意力を込めれば、必ず読む者に届くものだ。今回の応募作では、物語作りの不安からとおぼしき説明の過剰さが多く見受けられ、その点が受賞作とそれ以外を分けたように思えた。
 『聖クレーマーの憂鬱』昨年も候補に残った方で、大いに期待しながら読んだが、欠点ばかりが大きくなっていた。なまじ筆力があるため、すべて主人公に語らせてしまい、作者の企みや工夫というものが全編から抜け落ちている。アリバイトリック、凶器の選択、刑事の造形等を、書き進めながら少ない材料の中を見回して安易に決めていったとしか思えなかった。隠蔽の裏事情や親子の因縁話も、急ごしらえが過ぎた。書ける人ほど、こういう隘路に陥りやすい。どうか安易に取り組まないでほしい。今書き散らしたのでは、せっかくの才筆が台無しである。
 『暗き情熱のアレーナ』闘牛のシーンには、作者の入れ込み度が感じられた。しかし、それを支える人物の設定や事件の全体像にまで情熱の目配りは費やされず、強引さが目立ってしまった。物語に厚みを与えていく技を学んでいく必要があるだろう。
 『ゼロ・ゼロ』残念ながら短編の素材だった。そのため、装飾過多な描写に突き合わされ、徒労感が強く残る結果になってしまった。
 『ロスト・ソルジャー』スパイものの体裁を取りながら、根底には日本人の情が流れた誠実な作品で、それが長所でもあり欠点にもなっていた。人物造形や物語の結構は、昨年の候補作より長足の進歩が見られた。が、これほどの事件ならば、日米から徹底捜査が行われる。二十年前の交通事故も、ホームページの制作者も、見逃すはずはない。細部の詰めに甘さが多く、最後まで強く推しきれなかった。
 『沈底魚』現在の社会情勢をふまえて物語作りに取り組んだ挑戦の姿勢を高く評価したい。刑事たちの存在感も抜きんでていた。主人公に多くを語らせず物語を進めていく手さばきを見ても、書ける人であるのは疑いない。
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天童荒太[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 賞の選考を初めて担当させていただいた。乱歩賞の最終候補に残る作品だけあって、どの候補作も良い部分を持っている。それだけにクライマックスからラストにかけての失速が多くの作品に共通し、残念だった。大きな賞を意識するあまりか話や謎を広げ過ぎ、結果的にまとめきれないまま破綻した作品が目立つ。もったいない、が総じての感想だ。
 『聖クレーマーの憂鬱』は、現代がクレーマーの時代という視点が面白く、文章は読みやすく軽快で、書ける人だと思う。だが謎の作り方やその解き方までが軽くなり、現実感を失ったのは惜しい。主人公を優秀なプロとする設定は、本作に限らず他作品でも多いが、ほとんどが普通のプロにしか描けていない。わざわざハードルを高くすることはない。
 『ロスト・ソルジャー』は、沖縄問題に関する部分がよく書けており、沖縄市街のシーンも面白い。だが米軍基地を正面から扱い、CIAという巨大組織を相手にやりとりする物語を描くには、各状況に無理があり、リアリティを保てなかった。本作の良い部分はもっと小さな世界でも十分通用すると思う。話は小さくても、深ければ、きっと届く。
 『ゼロ・ゼロ』は、途中まで最も期待した。描写描写の連続はある種マニアックだが、作家は多少偏った部分があるほうが伸びると私は思っている。本作の方向性も買いたかったが、頭の良さを感じさせる一方、読む人への配慮を根本で欠いていた。肝心の犯罪行為も粗がある。描写は、それ自体で目的化せず、筋立てを行かすためにこそ用いてほしい。
 『暗き情熱のアレーナ』の闘牛シーンは素晴らしい。だが主人公が一年で見習い闘牛士になるなど、謎解きへ向けて次第に失速、主人公の出自が明らかにされたとき、推すことを諦めた。恋人と愛を交わした後、愛の闘牛を女性ゆえに完成させるシーンはとても良い。根本から構成し直し、恋愛小説として考えるのも手だろう。無理に謎を作る必要はない。
 『沈底魚』は、選んだ題材に意外性があり、最後まで地に足をつけて読ませる筆力がある。場所の描写は短文でも的確、台詞も巧みに描きわけ、政治的リアルさが求められる部分は、省略を利用して物語を先へ勧めるクレバーさも備える。瑕瑾もあるが、資質は高い。推したいと思った。他の作品との差は、一般的な価値観への疑惑の深さと、細部と共に全体を俯瞰しうる視力の幅だろう。今後は読者への気づかいを心がけ、さらに伸びてほしい。
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選考委員

予選委員

候補作

[ 候補 ]第53回 江戸川乱歩賞   
『聖クレーマーの憂鬱』 横席大
[ 候補 ]第53回 江戸川乱歩賞   
『暗き情熱のアレーナ』 下村淳史
[ 候補 ]第53回 江戸川乱歩賞   
『ロスト・ソルジャー』 松浦茂史
[ 候補 ]第53回 江戸川乱歩賞   
『ゼロ・ゼロ』 及川孝男