推理小説・二〇二二年

野地嘉文

 新型コロナウイルス感染症の流行は百年前のスペイン風邪に例えられることが多かったが、二〇二二年二月二十四日に勃発したロシアによるウクライナ侵攻も同時期の第一次世界大戦に影響を及ぼしたロシアの南下政策を思い出させた。二〇二二年七月八日、参議院選応援演説中に安倍晋三元首相が銃撃されたことも大正時代の原敬首相暗殺事件を想起させ、まるで時間が百年前に巻き戻されたような一年だった。安倍元首相の死が契機となり、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と多くの政治家とのあいだに深いつながりがあったことが明るみに出た。かつて宗教が政権に入り込み、侵略戦争を精神的な側面から肯定し、日本を戦争へと駆り立てたことがあったが、未来は同じ道をたどらないことを願う。
 ところでミステリの世界で百年前といえばアガサ・クリスティーが新人作家として活躍し、黄金時代の幕明となった頃である。少し遅れて日本では江戸川乱歩が現れ、探偵小説の中興の祖となった。社会情勢は不穏だが、ミステリは一層の飛躍を遂げ、新人にはその推進力となることを期待する。その中興の祖の名を冠した第六十八回江戸川乱歩賞は荒木あかねが勝ち取り、同賞の最年少受賞記録を更新した。受賞作『此の世の果ての殺人』(講談社)は、小惑星の衝突が近づき世界が混乱している最中、小さな夢を叶えるために努力を続けている主人公が殺人事件の謎解きをするというプロットが新鮮である。
 公募新人賞ではほかに第二十回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞は南原詠『特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来』、同文庫グランプリは鴨崎暖炉『密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック』(ともに宝島社)、第十四回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞は白木健嗣『ヘパイストスの侍女』(光文社)、第二十五回日本ミステリー文学大賞新人賞は麻加朋『青い雪』と大谷睦『クラウドの城』(ともに光文社)が受賞した。第三十二回鮎川哲也賞は昨年に続き受賞作が出なかったが、真紀涼介『勿忘草をさがして』(東京創元社)が同優秀賞に選ばれた。第四十二回横溝正史ミステリ&ホラー大賞の大賞も受賞作がなかったが、同優秀賞に鵺野莉紗『君の教室が永遠の眠りにつくまで』、同読者賞は荒川悠衛門『異形探偵メイとリズ 燃える影』(ともにKADOKAWA)、第二十九回松本清張賞は天城光琴『凍る草原に鐘は鳴る』(文藝春秋)、第二十五回ボイルドエッグズ新人賞は遠坂八重『ドールハウスの惨劇』(祥伝社)、第六十四回メフィスト賞は須藤古都離『ゴリラ裁判の日』(講談社)、第十二回アガサ・クリスティー賞の大賞は西式豊『そして、よみがえる世界。』(早川書房)が選出された。警察小説大賞から名称変更し再出発した第一回警察小説新人賞には麻宮好『恩送り 泥濘の十手』(小学館)、第九回新潮ミステリー大賞は寺嶌曜『キツネ狩り』(新潮社)、第三十五回小説すばる新人賞は青波杏『楊花の歌』(集英社)、新たに始まった第一回論創ミステリ大賞には三咲光郎『空襲の樹』(論創社)が選ばれた。短編を対象にした公募は、第二十回北区内田康夫ミステリー文学賞の大賞が安芸那須「二つの依頼」、同区長賞は西村美佳孝「お出かけゲーム」、同審査員特別賞は諸星額「死者の花束」(ともに『Webジェイ・ノベル』)、第四十四回小説推理新人賞は遠藤秀紀「人探し」(『小説推理』二〇二二年八月号)、第十九回ミステリーズ!新人賞は真門浩平「ルナティック・レトリーバー」(『紙魚の手帖』vol.07)、第六回大藪春彦新人賞は天羽恵「日盛りの蟬」(『読楽』二〇二三年一月号)が栄冠を得た。
 公募新人賞以外では、第八回早稲田大学坪内逍遙大賞の大賞は桐野夏生、第二十五回日本ミステリー文学大賞の大賞は小池真理子が受賞した。第六十三回毎日芸術賞は皆川博子『インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー』(早川書房)、第一六六回直木三十五賞は米澤穂信『黒牢城』(KADOKAWA)、第二十四回大藪春彦賞は武内涼『阿修羅草紙』(新潮社)と辻堂ゆめ『トリカゴ』(東京創元社)が選出された。優れた短編を選ぶ賞として新設された第一回アミの会アワードは大石直紀「東柱と東柱」(『京都文学小景 物語の生まれた街角で』所収、光文社)、第五十六回吉川英治文学賞は京極夏彦『遠巷説百物語』(KADOKAWA)、第四十三回吉川英治文学新人賞は小田雅久仁『残月記』(双葉社)と一穂ミチ『スモールワールズ』(講談社)、第七回渡辺淳一文学賞は葉真中顕『灼熱』(新潮社)、第十九回本屋大賞と第九回高校生直木賞は逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房)、第七十五回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門は芦辺拓『大鞠家殺人事件』(東京創元社)、同短編部門は逸木裕「スケーターズ・ワルツ」(『五つの季節に探偵は』所収、KADOKAWA)と大山誠一郎「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」(『時計屋探偵の冒険 アリバイ崩し承ります2』所収、実業之日本社)、同評論・研究部門は小森収『短編ミステリの二百年〈1〉~〈6〉』(東京創元社)、第二十二回本格ミステリ大賞小説部門は前述の『黒牢城』と『大鞠家殺人事件』、同評論・研究部門は前述の『短編ミステリの二百年〈1〉~〈6〉』、第三十四回将棋ペンクラブ大賞文芸部門の大賞は松浦寿輝『無月の譜』(毎日新聞出版)、同優秀賞は芦沢央『神の悪手』(新潮社)、第十七回中央公論文芸賞と第三十五回柴田錬三郎賞は青山文平『底惚れ』(徳間書店)、第五回書評家・細谷正充賞は上田朔也『ヴェネツィアの陰の末裔』(東京創元社)、鷹樹烏介『銀狐は死なず』(二見書房)、宮澤伊織『神々の歩法』(東京創元社)、矢樹純『マザー・マーダー』(光文社)、夜弦雅也『高望の大刀』(日本経済新聞出版)、第十三回山田風太郎賞は小川哲『地図と拳』(集英社)が受賞。紫綬褒章が大沢在昌に授与されたことも話題になった。惜しくも受賞にはならなかったが、英国推理作家協会(CWA)の同協会賞(ダガー賞)翻訳部門の最終候補に伊坂幸太郎『マリアビートル』(KADOKAWA)が挙げられたことも記憶に残る。
 ジャンル別には本格ミステリの快進撃が続く。ⅤR空間と現実世界の殺人事件を追う方丈貴恵『名探偵に甘美なる死を』(東京創元社)、コロナ禍での捜査をエモーショナルに描く有栖川有栖『捜査線上の夕映え』(文藝春秋)、明治末期の芸術家サロンを舞台にした宮内悠介『かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖』(幻冬舎)、警察が民間委託された世界が舞台の市川憂人『断罪のネバーモア』(KADOKAWA)、大学の無料法律相談所に持ち込まれた事件を描く五十嵐律人『六法推理』(KADOKAWA)、身に覚えのない殺人事件の真相を追求する浅倉秋成『俺ではない炎上』(双葉社)、テレビドラマが生放送だった時代の殺人事件を題材にした辻真先『馬鹿みたいな話! 昭和36年のミステリ』(東京創元社)、多重解決ミステリの紺野天龍『神薙虚無最後の事件』(講談社)、異形の館ミステリの北山猛邦『月灯館殺人事件』(星海社)、日本推理作家協会賞短編部門受賞作を含む結城真一郎『#真相をお話しします』(新潮社)、誘拐ミステリを斬新な設定で構成した阿津川辰海『録音された誘拐』(光文社)、閉鎖空間での犯人捜しに驚愕の展開が待ち受ける夕木春央『方舟』(講談社)、日本テレビでのドラマ化が話題になった相沢沙呼『invert Ⅱ 覗き窓の死角』(講談社)、カルト宗教にロジックが切り込む白井智之『名探偵のいけにえ─人民教会殺人事件─』(新潮社)、ブラックな笑いがこみあげてくる石持浅海『高島太一を殺したい五人』(光文社)、十一年ぶりの矢吹駆シリーズの笠井潔『煉獄の時』(文藝春秋)、瀬戸内海の離島を舞台にした東川篤哉『仕掛島』(東京創元社)が印象深い。
 そのほかに社会派伝奇小説ともいえる岩井圭也『竜血の山』(中央公論新社)、警察組織の狭間でもがく刑事の姿が胸を打つ今野敏『無明 警視庁強行犯係・樋口顕』(幻冬舎)、息子と父が少女を挟んで憎しみ合う遠田潤子『人でなしの櫻』(講談社)、爆弾魔と刑事の会話に魅了される呉勝浩『爆弾』(講談社)、見捨てられた非正規労働者やホームレスを描く赤松利市『東京棄民』(講談社)、戦争の影を引きずり東京五輪の準備に追われる社会派冒険小説の斉藤詠一『レーテーの大河』(講談社)、戦国末期の伝奇小説、花村萬月『姫』(光文社)、異常な世界観をリアルに描いた短編集、佐藤究『爆発物処理班の遭遇したスピン』(講談社)、死刑制度の課題をグロテスクに歪めた貫井徳郎『紙の梟 ハーシュソサエティ』(文藝春秋)、ヤクザの一人娘が跡目を継ぐや権力闘争に明け暮れる長浦京『プリンシパル』(新潮社)、渡良瀬川で発見された死体にかかわる人々の人間模様を描く奥田英朗『リバー』(集英社)、女性死刑囚が遺した言葉の謎を探る柚月裕子『教誨』(小学館)が成果として挙げられるだろう。また、これまで単著未収録だった作品を集めた連城三紀彦『黒真珠 恋愛推理レアコレクション』(中央公論新社)の質の高さには驚嘆する。
 復刊・再編集本では、大正時代の『中央公論』を復刻した『開化の殺人 大正文豪ミステリ事始』(中央公論新社)、イラストや人物紹介も楽しい横溝正史編『横溝正史が選ぶ日本の名探偵 戦前ミステリー篇』と同『戦後ミステリー篇』(河出書房新社)、複数作家がリレー式に書いた日下三蔵編『合作探偵小説コレクション1~2』(春陽堂書店)や同じ編者の全三巻『横溝正史エッセイコレクション1~3』(柏書房)が印象に残る。徳間書店からは「トクマの特選!」シリーズで中町信、笹沢左保、都筑道夫、梶龍雄、矢野徹、山田正紀が復刊されている。西原和海・川崎賢子・沢田安史・谷口基編『定本 夢野久作全集』(国書刊行会)が全八巻で完結したことも成果である。
 評論・研究などには、風間賢二『怪異猟奇ミステリー全史』(新潮社)、北原尚彦・村山隆司『シャーロック・ホームズの建築』(エクスナレッジ)、太田克史編『新本格ミステリはどのようにして生まれてきたのか? 編集者宇山日出臣追悼文集』(星海社)、オール讀物責任編集『文春ムック 西村京太郎の推理世界』(文藝春秋)、円居挽他『円居挽のミステリ塾』(星海社)、松本清張『松本清張推理評論集 1957‐1988』(中央公論新社)、有本俱子編『故郷へ、友へ、恩師へ、風の便り 山田風太郎書簡集』(講談社)、野崎六助『快楽の仏蘭西探偵小説』(インスクリプト)、怪異怪談研究会監修『〈怪異〉とミステリ 近代日本文学は何を「謎」としてきたか』(青弓社)がある。
 さらに各地の文学館などでは注目すべき展示会が開催された。博物館明治村『企画展「犯人は誰だ?」謎解きの誕生─明治・大正の探偵小説から江戸川乱歩まで─』、姫路文学館『特別展「生誕100年記念 山田風太郎展」』、松本清張記念館『国立台湾文学館・北九州市立松本清張記念館 共同企画展示「遺された指紋──松本清張と台湾ミステリー小説」』、吉備路文学館『特別展「横溝正史生誕120年~探偵小説作家と岡山の風物詩と人情~」』、市立小樽文学館『企画展「生誕121年 小栗虫太郎展」』である。そのほかに岡山県倉敷市で恒例開催されていたコスプレイベント『1000人の金田一耕助』が三年ぶりに再開されたことは明るい出来事だろう。
 最後にお悔やみである。二月に大谷羊太郎、三月に西村京太郎、四月に竹谷正、長谷部史親、六月に島崎博、八月に光原百合、十月に津原泰水、鹿野司の訃報が伝えられた。
 大谷羊太郎は一九三一年生まれ。一九七〇年に『殺意の演奏』で第十六回江戸川乱歩賞受賞。西村京太郎は一九三〇年生まれ。一九六五年には『天使の傷痕』で第十一回江戸川乱歩賞、一九八一年に『終着駅殺人事件』で第三十四回日本推理作家協会賞長編部門、一九九七年に第六回日本文芸家クラブ大賞特別賞、二〇〇四年に第八回日本ミステリー文学大賞、二〇一〇年に第四十五回長谷川伸賞、二〇一九年に「十津川警部」シリーズで第四回吉川英治文庫賞を受賞。トラベルミステリで一時代を築いた。竹谷正は一九三三年生まれ。一九五六年に『宝石』の「新人二十五人集」に作品掲載、一九七七年に雑誌『幻影城』の「推薦新人」に選出。長谷部史親は一九五四年生まれ。一九九三年に『欧米推理小説翻訳史』で第四十六回日本推理作家協会賞評論その他の部門、一九九四年に『日本ミステリー進化論』で第八回大衆文学研究賞研究・考証部門を受賞。島崎博は一九三三年生まれ。一九七五年に『幻影城』を創刊し、編集者として探偵小説の復刻のほか、多くの新人作家を世に出した。日本推理作家協会編『1975年版 推理小説年鑑 推理小説代表作選集』では収録作の選考にも携わり、推理小説年鑑との関わりも深い。一九八〇年以降は故郷の台湾で日本ミステリの紹介に努めた。二〇〇八年に第八回本格ミステリ大賞特別賞、二〇一三年に第一回台湾推理大賞を受賞。光原百合は一九六四年生まれ。二〇〇二年に「十八の夏」で第五十五回日本推理作家協会賞短編部門受賞。津原泰水は一九六四年生まれ。ミステリ、SF、怪奇小説など幅広く活躍した。二〇一四年には原作を提供し、近藤ようこによってマンガ化された『五色の舟』が第十八回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞。鹿野司は一九五九年生まれ。サイエンスライターとして活躍し、二〇一一年には『サはサイエンスのサ』で第四十二回星雲賞ノンフィクション部門受賞。そのほかにも、二月にはハードボイルドにも秀作が多い芥川賞作家の石原慎太郎、七月にアニメーション『ルパン三世』で次元大介を演じた声優の小林清志、八月にテレビドラマなどで金田一耕助を演じた俳優の古谷一行、十一月に沼正三『家畜人ヤプー』や連城三紀彦などの書籍の装幀を手掛けた画家の村上芳正、十二月にはケイト・モートン『リヴァトン館』などの訳がある翻訳家の栗原百代が亡くなっている。
 在りし日のご活躍を改めて思い起こす。
 第二次世界大戦末期、中立国スイスを舞台にした故西村京太郎の傑作『D機関情報』で、日本公使館の書記官が、

「スイスにいると、世界情勢というものを、冷静に見ることが出来るのです。冷静に見て、ドイツの敗北は必至です。そうなれば、日本も危い。必勝の信念だけで、戦争に勝てるものではありません。一刻も早く戦争を終らせる必要がある。そう考えていたのです」

 と心情を漏らす。外からだけでなく、フィクションのフィルターを通すことでも本質が掴めることがあろう。世界情勢に目を向ければ、冒頭に挙げたロシア・ウクライナだけでなく、中国と台湾など東アジアでも緊張が高まっている。かつて日本では探偵小説は戦争遂行の害になるという理由で弾圧されたこともあった。それ自体は根拠なき排斥ではあったが、読書は立場が異なる人への理解を深める体験でもあり、ミステリもまた相互理解と平和に貢献する存在であってほしいと思う。