一般社団法人日本推理作家協会

推理作家協会賞

2017年 第70回
  • 長編及び連作短編集部門愚者の毒宇佐美まこと
  • 短編部門黄昏薬丸岳
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1989年 第35回 江戸川乱歩賞

1989年 第35回 江戸川乱歩賞
受賞作

あさくさえのけんいちざのあらし

浅草エノケン一座の嵐 

受賞者:長坂秀佳(ながさかしゅうけい)

受賞の言葉

 応募前、原稿を読ませた友人の一人は、粗忽にも「おい大丈夫か。よく調べてはいる。犯人もトリックも意外だが、資料が少し勝ちすぎてはいないか」と心配した。
 とくに、江の田助に関するくだりや、主人公エノケンの重要なエピソード、ロッパの持ちかけるクイズ、作中の演劇、利かせ場の劇評等々、著作権やモデル問題に触れはしないか、というのだ。「やった」私は内心小躍りした。彼の指摘した箇所のすべては、作者の仕掛けた全くの創作部分(フィクション)ばかりであったからだ。たとえば、江の田助も上三和座も実在しない。それらのウソをどう本モノっぽく見せるかがもっとも苦労した所だった。友人は私の望むもっとも理想的な形で、欺されてくれたのだ。
 作中には、他にもなかなか気付きにくい種々の仕掛けがクモの巣のように張りめぐらされている。読者のみなさんにも、どうか粗忽者の彼のようにうまく欺されて戴きたいと思う。
 ありがとうございました。

作家略歴
1941~
愛知県豊川市生まれ。愛知県立豊橋工業高校卒。
東宝撮影所美術課、本社テレビ部企画課を経てフリーに。「子連れ狼」「日本沈没」「特捜最前線」やサスペンス物など、テレビ・ドラマや映画のシナリオを数多く手掛けている。「嵐学の時代」などの小説もあり、一九八九年、「浅草エノケン一座の嵐」で第三五回江戸川乱歩賞を受賞した。

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選考経過

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 本年度乱歩賞は、一月末日の締切りまでに応募総数二八七篇が集まり、予選委員(及川雅、関口苑生、原田裕、松原智恵、松村喜雄、結城信孝の六氏)により最終的に左記の候補作四篇が選出された。
<候補作>
 クレムリンの道化師   阿部陽一
 メービウスの魔魚    吉岡道夫
 泣き顔のクピド     花木 深
 浅草エノケン一座の嵐  長坂秀佳
 この四篇を六月二十九日(木)福田家「扇の間」において、選考委員・北方謙三、日下圭介、笹沢左保、中島河太郎、武蔵野次郎の五氏(五十音順)の出席のもとに、慎重なる審議の結果、長坂秀佳氏の「浅草エノケン一座の嵐」に決定。授賞式は九月二十九日(金)午後六時より帝国ホテルにて行われる。
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選評

北方謙三[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 『浅草エノケン一座の嵐』は、ユニークな作品だった。ミステリーとして読むと、荒唐無稽である。が、エノケンの人間性を描いたものとして読むと、興味深いものだった。
 江の田助という殺された男と、榎本健一は、ともにエノケンである。ひとりの人間を二人に描き分け、芸の葛藤、演じることの苦悩までよく書きこんである。人間の二面性、表裏を描く方法として目新しくはないが、二人のエノケンは生き生きとしていた。
 ミステリー仕立てが必要かどうか、という議論は出るだろう。エノケンのキャラクターを利用してミステリーを書こうとしたのか、ミステリーという方法を使ってエノケンの人間性をきわ立たせようとしたのか、作者自身も絞りきれないところがあったのではないか。
 後者だ、という解釈で、私は受賞に同意した。ミステリーを、一人の天才喜劇人を描く道具に使った手口は、紛れもなく新しい。謎解きがあまり意味を持たないミステリーだと考えると、小説とは幅の広いものだ。
 『クレムリンの道化師』は、スパイ小説としてある水準に達していた。日本人をひとりも登場させない度胸も悪くなかった。ただ、文章まで翻訳調である必要はない。この種の心理ゲームを描くなら、個人の内面にもう少し深く切りこんで欲しかった。私はこの作品を推したが、いまひとつ強く推しきれなかったのは、やはり主人公の内面が言葉でしか説明されていない弱さゆえだろうと思う。
 『メービウスの魔魚』の作者は昨年も最終候補にあがっていた。それなりの手練れなのだと思う。新しいものを発見しようと私は努力したが、前作と同じ整合性のつまずきにぶつかってしまった。
 未成熟であろうと、新人の作品は、エネルギーと可能性で読む者の心をかき回せばいい、と私は思う。その点で言えば、候補作のどれもが、いま一歩というところであった。
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日下圭介[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 膝を叩きたくなるほどの作品には出会えなかった。私は、一応受賞作と「クレムリンの道化師」を推すことにしたが、これとてぜひともというほどのことはなく、消去法の結果である。
 受賞作「浅草エノケン一座の嵐」は、なんといってもエノケンというキャラクターを主人公に見出したことが、手柄だろう。戦前の浅草という背景も、イメージが彷彿とする程度には描けていた。「もう一人のエノケン」の存在も面白い。しかし推理小説としては、かなりお寒い。密室トリックなどは、作者の意図したおふざけと理解し、抱腹絶倒するのが正しい読み方か。これもエノケンの徳というべきだろうが、むろん正道ではなく、以後の応募者は、あまり真似をなさらぬように。
「クレムリンの道化師」 私の評価は、こちらの方がやや高い。モスクワを舞台にしたスパイ物だが、ペレストロイカが断行され、デタントが進むという、スパイ商売のやりづらい時代を逆手に取ったという点に興味をひかれた。徹底してリアリティーを追及した作品だ。だから地味は地味でいいのだが、もっと読者を引きずり込む工夫が必要ではないか。筆者には面白いことが、読者に素直に伝わらない。登場人物が多過ぎる。次作期待。
「泣き顔のクピド」 この作者ならではというセールスポイントがない。最後に主人公の元刑事が、犯人に新たな殺人を犯すようし向けるのには仰天してしまった。
「メービウスの魔魚」 錦鯉の話は、エピソードとしては面白かった。だが、「推理」の部分がずさんだし、偶然に頼り過ぎている。刑事を登場させるなら、もう少し警察に関する基礎知識を身につけてほしい。神奈川県や群馬県で死体のみつかった事件で、どうして新潟の刑事が駆け回るのか、刑事と素人が、仲良く捜査に当たるのも現実感を削ぐ。
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笹沢左保[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 めまぐるしいほどの場面転換、視点が次々に変わって、登場人物それぞれに別個の人生観や人間観がなく、それでいて思いきった省略法が用いられてはいない。そのために、くどいくらいに冗漫である。映画的手法なのか、劇画的テンポなのか知らないが、小説なのかシナリオなのかわからないものを、読んだような気がした。小説として応募するのであれば、シナリオでなくてあくまでも小説として完成した作品にすべきではあるまいか。この点は『クレムリンの道化師』を除いた三候補作に、共通して言えることだと思う。
 吉岡道夫氏の『メービウスの魔魚』は、そのために大損をしている作品だろう。素材もおもしろいし、よく調べて書かれている作品なのに、とにかく忙しいのである。まるで追いかけられるように読んでしまい、読みながら推理するという楽しみを与えられない。したがって、引きずられることがない。
 余計な部分と登場人物を大幅に整理して、主人公の立場から正攻法でじっくりと小説にまとめあげたら、はるかに読みごたえのある長編推理小説になったことだろう。長坂秀佳氏の『浅草エノケン一座の嵐』も、小説としては未完成の部分が少なくない。ドラマチックな盛り上がり場面を、視覚的に描写して用意するというのもシナリオ的である。反戦というテーマを生の言葉によって前面に押し出してくるのも、最近のテレビ・ドラマの安易さを思い起こさせる。江戸川乱歩賞作家としての今後には、小説として完成した作品を期待したい。
 阿部陽一氏の『クレムリンの道化師』については、応募先を間違えたようで気の毒だとぼくは評した。日本人がひとりとして登場しない翻訳小説風の作品という試みは、大胆であって大いに結構である。しかし、そのためにどうしても、読者に最小限度の知識を与えようと説明が多くなるところが難点だろう。
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中島河太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 今回の候補作はそれぞれ長短があって、ぜひ推したいものに恵まれなかった。
 阿部陽一氏の「クレムリンの道化師」は、日本人の登場しない、ソ連を舞台にした英ソの諜報活動を描いたものである。
 克明に描かれているものの、議論と推理ばかりの晦渋さが、エンターテインメントとして失格であった。
 政治の優位のためには犠牲者を顧みない非情さを、もっと素直な筆で書いて欲しかった。
 長坂秀佳氏の「浅草エノケン一座の嵐」は、作者の気どった文体が目ざわりだった。
 ロッパの日記などや浅草の演劇史的資料が、なまのままで挿入されていて、ストーリーにとけこんでいない。
 もう一人のエノケンを起用したのは手柄だが、これを厭戦家に仕立てているのが気になった。とにかくエノケン、ロッパの時代を再現して、当時の浅草に焦点をあわせた着眼点に惹かれた。
 花木深氏の「泣き顔のクピド」は、被害者の腹部にくいこんだクピド人形にはじまって、因縁譚みたいな構成をとっており、サスペンスに乏しい。
 もう少し視点を定めて、新鮮さをうち出すべきであった。
 吉岡道夫氏の「メービウスの魔魚」は、ストーリーも起伏に富んでいるし、錦鯉の新種を追及する狙いはおもしろかった。
 構成上、いくつかの安易さが指摘されたが、物語としてはこれが纏まっていた。
 委員の評価が分れたため、長坂氏の今後の精進を期待して一票を投じた。
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武蔵野次郎選考経過を見る
 最終候補作として廻ってきた四篇の作品を読んで、強く感じられたことは、小説としての面白さということである。推理小説という分野に属する小説も、小説と付く以上は面白く読めるものでなければならないことは、改めて言うまでもあるまい。
 小説を面白くする技法、全体のストーリー構成とか、登場する人物像の適確な描写とか、いろいろの要素があることは云うまでもないが、まず文章叙述に優れていることが、一番大切なことと思われるのだが、その点で今回の四篇には不満が感じられた。極言すれば、小説の文章になっていないような作品も目についたのである。
 三百五十枚から五百五十枚におよぶ長編小説を新人が営々と書いている努力には尊いものがあることは敬服に値するのだが、折角、それだけの枚数におよぶ小説を書く以上は、なんらかの点で読む者に、小説の楽しさ、面白さを与える工夫が施されていなければいけない。又、推理小説という以上、殺人事件がなければならないという条件にしばられて、事件は発生するのだが、殺人を犯す理由がまるで薄弱で、こんなことで殺人を犯す必要はないと思われるにいたっては、どうしようもない。逆効果である。
「授賞作なし」というのが私の今回の決定意見であった。新人にとっては、酷かもしれないが、面白くない以上、如何ともしがたいことであった。
 授賞作に決定した長坂秀佳氏の「浅草エノケン一座の嵐」は、かつての浅草が物語の舞台背景にとられていること、そして、実在の喜劇俳優の大スターであったエノケンや古川ロッパが登場してくるという、題材的な興味があることで、読者の関心をひくものがあると思われるのだが、欠点も多い小説である。この程度の文章で乱歩賞に入選するのかと一般が考えるとしたら、それが一番困ることである。以上、敢えて苦言を呈しておく。
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選考委員

予選委員

候補作

[ 候補 ]第35回 江戸川乱歩賞   
『クレムリンの道化師』 阿部陽一
[ 候補 ]第35回 江戸川乱歩賞   
『メービウスの魔魚』 吉岡道夫
[ 候補 ]第35回 江戸川乱歩賞   
『泣き顔のクピド』 花木深