一般社団法人日本推理作家協会

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1955年 第1回 江戸川乱歩賞

1955年 第1回 江戸川乱歩賞
受賞作

たんていしょうせつじてん

探偵小説辞典

受賞者:中島河太郎(なかじまかわたろう)

受賞の言葉

   受賞の言葉

 この度の受賞は全く思いがけないことでした。私自身が予選委員の一人でしたし、その予選委員会で話題にのぼった候補者にきまるものと思いこんでいただけに、こちらにお鉢が廻って来ようとは夢想もしないことで、方々から祝辞を頂戴しながら、今でも半信半疑の面持です。
 詮衡の経緯についてはまだ存じませんが、果して第一回の江戸川乱歩賞の栄誉に価するか、ほんとに忸怩たる感じが致します。
 私自身の仕事といえば僅かに幾つかの目録とやりかけの辞典があるばかりです。戦後初めて江戸川先生にお目にかかった折、日本の作品目録を拵えたいと申しました。私の計画についてとても出来そうにない口吻だったと覚えております。その仕事も今年の年鑑に増補篇を拵えて一応けりをつけますが、私のやったことはいわば資料と閑暇さえあれば誰にでも出来ることでとりたててあげつろう程のことではありません。ただ私自身の探偵小説愛好癖がそういうものがあれば便利だと思い、極めて自己中心的の考え方から出発したものです。手許に資料を備えていない方には、却って焦燥の念を起させるだけの意地悪な結果になりそうで、絶えず気がひけてなりません。
 それにも拘らず、こういう片隅の仕事に同情し、理解していただいたばかりでなく、はれがましく表彰しようといって下さるのは、これこそ望外の歓びと申すべきでしょう。
 江戸川先生が夥しい研究評論を発表されて範を示されましたので、戦後は探偵小説に対する思いつき的発言が影をひそめたようです。斯界を奮い立たせる評論こそ乏しいと思いますが、少なくとも資料に忠実に発言しようとする着実な研究態度が、どこにも見られるようになったのは、全く先生の御嚮導の賜物だと考えます。しかも探偵小説研究の師表であり先達と仰ぎながら、自身の好みに趨っていた私に、先生の御名前を冠した賞が与えられたことに、言葉に尽くせぬ深い感慨をおぼえます。
 私のささやかな仕事でさえ探偵小説界が温い目差しで見守っていて下さったということがわかれば、恐らく、今後ますます、すぐれた労作が相次いで生れるだろうと思います。きっと、これが契機となって、研究評論の一段の振興が期待されましょう。その点が、私個人の欣びよりも、今度の受賞の何よりも有難いところだと感謝しています。
(「日本探偵作家クラブ会報」一九五五年四月号)

作家略歴
1917~1999
鹿児島市生れ。東京大学卒。
都立墨田川高校教諭を経て、和洋女子大学教授。のちに学長。一九四七年、「日本推理小説略史」を「探偵新聞」に連載してから推理小説関係の評論・研究を手掛け、五五年、「探偵小説辞典」で第一回江戸川乱歩賞を受賞。さらに六六年、「推理小説展望」で日本推理作家協会賞を受賞した。著書に「推理小説ノート」「日本推理小説史」「日本推理小説辞典」など。八五年より二期四年、推理作家協会理事長を務める。
九七年、日本文学ミステリー資料館初代館長に就任。九八年、第二回日本ミステリー文学大賞を受賞。

選考

以下の選評では、候補となった作品の趣向を明かしている場合があります。
ご了承おきの上、ご覧下さい。

選考経過

選考経過を見る
 江戸川乱歩氏が昨年十月還暦の記念祝賀会席上発表した百万円基金の「江戸川乱歩賞」は、その後江戸川乱歩氏と探偵作家クラブで贈呈対象、並びに詮衡委員などを決定。(前号参照)それに基いて本年度第一回(昨年中の作品又は活動を対象とする)は、探偵小説の批評家であり書誌学的造詣深い中島河太郎氏が雑誌「宝石」に二ヶ年以上にわたって分載中の「探偵小説辞典」に対し贈賞と委員会全員一致で決定。四月二日にこれを発表した。
 「探偵小説辞典」は、中島氏が長年の努力で資料を蒐められたもので、今後尚二ヶ年位を費やすものだろうが、他の追従を絶対に許さず、その貢献と期待は大きく、完結への助成の意味が含まれている。
 即ち、三月十四日(月)京橋チャイルドで予選委員会、出席委員、江戸川、大坪、木村、妹尾、千代、中島、黒部、渡辺(剣)、また黒沼委員は書面で意見を呈出。
 三月二十六日(土)同所で選考委員会、出席、荒、長沼、大下、江戸川の委員で最終的に決定、発表の段取となった。
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選評

荒正人選考経過を見る
 中島河太郎さんの、探偵小説の辞典の仕事は、いま進行中だが、それを激励する意味もこめて、第一回の江戸川乱歩賞が与えられることになった。完結していればなお良かったが、途中でも、意義はある。恐らく、困難な仕事を幾分かでもはやめるのに役立つのではあるまいか。
 江戸川乱歩も書誌学は好きなようだから、この仕事に第一回の賞の与えられるのは、大変ふさわしい。
 私は、「宝石」を手にすると、毎号この頁だけは必ず眼をとおすことにしてきた。広くよんでいることに驚嘆することが多かった。
 文学関係の辞典では、俳句とか、文学のものがやっとこの頃になって、できたのだから、それに較べると、探偵小説の辞典がすすんでいることはむしろ誇っていい。これはなんていっても編者の手柄だと思う。
(「日本探偵作家クラブ会報」一九五五年四月号)
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江戸川乱歩[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 江戸川賞の選考方針や、選考委員、予選委員をお願いした人々の名は、探偵三誌に発表されているので、ここには省く。三月に開いた予選委員会では、中島君の名はむろん出たけれども、「宝石」連載の探偵小説辞典が完結した年にという考え方で、その席ではアメリカのクイーンが昨年作家生活二十五年の祝いをやっているから、彼の創作、文献研究、雑誌編集などの業績に対して賞を贈ったらという説が圧倒的だった。五月人形の子供の着るくらいの大きさの緋緘の鎧を、大使館を通じて贈ったら華々しいだろうし、日本の文学賞を外国人に贈るのは初めてだから、というような考え方であった。その日は丁度、アメリカ探偵作家クラブ十周年の祝賀会に、日本探偵作家クラブにもメッセージを求められたので、各幹事にメッセージの署名を乞うた直後だったので、その連想から、こんな考えが起ったのであろう。
 しかし、この案はやゝハッタリめいているし、当日欠席の予選委員の二三からも、クイーンに賞を贈るのは無意味だという意見も出ていたので、その後贈賞決定の選考委員会、(五名全員出席)を開いたときには、クイーン説は余り重きをおかれなかった。その選考委員会では、早川ポケット・ミステリー叢書の画期的な刊行ぶりに対して与えよという説と、中島河太郎君の業績は顕著だから、辞典の完成前に与えてもよいという両説が出たが、結局中島説が勝ちを占めた。私もむろん異存はなかったので、これに決定した。この選考は甚だ妥当であったと、後に多くの人々から賞賛を博した。つまり、中島君の功績を万人が認めていたのである。
 探偵小説の批評は従来多くの人々によって書かれているが、探偵小説を史的、書誌的に研究し、探偵小説辞典を独力で編纂するというようなことは、日本は勿論西洋にも例がなく、探偵小説界にとって、画期的な業績と云わなければならぬ。又、中島君は自費で研究誌「黄色の部屋」を刊行しつづけ、毎年探偵小説年鑑の附録を執筆するなど、その書誌的業績は刮目すべきものがあり、第一回贈賞がこのひとにきまったことは、私としても会心の至りである。
(「日本探偵作家クラブ会報」一九五五年四月号)
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長沼弘毅[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 乱歩賞の詮衡委員の依頼を受けたとき、ぼくの頭に直ぐさま浮んだ人物が、三人いた。延原謙、横溝正史、中島河太郎の三氏が、それである。
 延原氏については、その長年にわたる訳業上の業績に対して敬意を表するというかんがえ方もある。しかし、ぼくが、特にとりあげたのは、月曜書房から出版されたシヤアロック・ホームズ全集である。ぼくは、じぶんの個人的趣味もあって、この翻訳を、一字一句のこらず、原文と対照して読んでみたのである。その結果、これは、まことに並々ならぬ労作(かつ傑作)であると、むしろ驚嘆した。ひとり探偵小説の領域に限らず、わが国で出版されている無数の翻訳のうちでも、この位デッサンの確りした良心的な翻訳は、まず、稀有といってもよいであろう。
 横溝氏については、病身でありながら、つぎつぎと、骨格の確りした長篇を発表された逞しい努力にむくいるところがあってもよいとおもったからである。作品の内容からいえば、全部が全部、傑作秀作であるとは言い切れないかも知れないが、「一途の道」というか、「わき目もふらぬ闘魂」というか、そういったものが、ぼくのこころを打ったのである。
 ところで、乱歩賞には「昨年中に活躍した事」という条件がついている。この条件からすると、以上の二氏は、残念ながら、受賞圏外におかれざるを得ないこととなる。
 そうなると、自然、中島氏の地位は、もう揺がないものになってしまった。中島氏は、小説の作家ではなく、むしろ書誌学者(いまの段階では、学者といってよいかどうかには、まだ、多少の疑問があるが)である。こういう分野のひとに、第一回の賞を与えることはどうか、という意見もあり得ようが、ぼくは大いに意義があるとおもっている。中島氏の従来の研究が、どれほど御本人を裨益しているか、という段になると、かなりな疑問があるであろう。が、他人を益するという意味においては、聊かの疑問もない。いわば、はなはだ地味ではあるが、極めて利他的な労作の連続である。こういう人物に脚光を浴びせることは、まことに結構なことであり、楽しいことでもある。ぼくは、氏の業績に対して、相当の批判も持ち、註文も持っている。しかし、この短文で、こうした点に触れることは不可能である。が、ともかく、結論的にいえば、ぼくは、終始、中島氏のお仕事に対する不断の努力と熱情とを買うものである。
 詮衡委員会の席上、大下氏が、歯切れのよい例の口調で、「中島君にやろうや」と怒鳴ってくれたことは、嬉しかった。ぼくは、そのとき、「ははあ、扉のときのかけ声も、時には役に立つものだな」とおもった。(註、大下委員がラジオ番組「二十の扉」に出演していたことを指す)
(「日本探偵作家クラブ会報」一九五五年四月号)
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木々高太郎[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 第一回乱歩賞が中島河太郎君の近業に与えられることに決定したということは、これ以上の、これよりほかのよい詮考はあり得なかったという感じを与える。
 賞の詮考というものは、議論したあげく決定をすると、いつも一種の平安感に達するものであるが、やはりよい作品、よい賞意のない場合は、あとあとまでも残念な心がもち越されるものであるが、妥当した作品なり、賞意なりがあった場合は、晴ればれした感じをもつものであるということは、度々経験がある。その意味では今度の中島君の受賞は、一点の躊躇もない晴れ晴れした感じで充ちている。
 乱歩賞設定がまことによいことであり、この点、江戸川乱歩氏には我等一同が感謝しているにつけても、乱歩賞を軽からしむるのは甚だ困ると考え、事前は、若干の心配があった。しかし、中島君に思い到ることによって、乱歩賞のためにも、実によいという信念が急に意識せられた。
 第一回の乱歩賞が、堂々正当、この詮考をしたことは、心から祝い度い。

 それにつけても、第二回の乱歩賞は、再びいろいろの心配と苦悩が予期されるが、それには、尚一箇年の日子があるので、単に委員の方々のみならず、倶楽部会員のすべての方々が心にかけて下さることを願い度い。
(「日本探偵作家クラブ会報」一九五五年四月号)
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大下宇陀児[ 会員名簿 ]選考経過を見る
 探偵文壇という壇の下、またはその背後にいて、壇の支えとなってくれる人へ、乱歩賞を贈る、ということは、たいそう有意義なことである。
 乱歩賞は、いつも必らずそういう意味で贈られる、ときまったわけでもないようだが、ともかく、今回は、そうなった。
 チャイルドで委員が集まって話合いをしたとき、はじめはA・B・C氏などが候補としてあげられ、クヰーンに贈ったら、などという意見も出たほどだったが、クヰーン氏になど、私としては全く賛成できない。
 私としては、中島河太郎君を推した。すると、乱歩が、中島君には、探偵小説辞典が完成してからの方がいい、という意見を述べたが、他の委員は全部賛成で、結局この決定となったわけである。
 昔、広川一勝君が、中島君に似たことをやってくれたが、その広川君は死亡し、広川君よりずっと広汎な領域にわたっての仕事をしてくれたのが中島君である。
 私たちは、中島君の仕事に負うところが多く、この感謝の気持を、いささか乱歩賞に便乗した形ではあるが、この際に現わし得たことは、ありがたいと思う。
 好きなればこそ、とはいうものの、中島君がやってくれた仕事、また今もやってくれている仕事は、並たいていの努力ではできぬことである。
 中島君についでの候補として目されたA・B・C氏らのほかに、その場では全く話に出なかった某氏を、私はあとで思い出した。来年の委員会では、その某氏を私は第一に推したいと考えている。但し、他の委員の賛意を得るかどうかはわからないことで、ここにはその名前を云わぬことにしたい。今は、中島君のために、謹んでお祝いと感謝の言葉を述べておくにとどめる。
(「日本探偵作家クラブ会報」一九五五年四月号)
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