追悼

島崎博さんの探求本

野地嘉文

 二〇〇四年、私が趣味で作っていた『幻影城』のサイトを見た台湾の同好の士から、「先日、幻影城編集長の島崎博さんと会った」というメールが届いた。当時、島崎さんの消息はわからなかったから大いに驚き、それがきっかけで『幻影城の時代』の刊行や「島崎博さんをお迎えする会」の開催、『幻影城 終刊号』を同人誌で出すことに繋がった。単なる愛好家に過ぎない私がミステリの世界で交友を広げ、活動できたのは島崎さんのおかげである。
 島崎さんの日本一の探偵小説コレクションは『幻影城』休刊とともに消えた。台湾帰国後に集めた本も台風ですべて水浸しになったという。しばらくは蒐集をやめていたようだが、私にも古本趣味があることを伝えると「古本屋廻りのついでに探してもらえたら」と島崎さんから探求書リストが届いた。ほとんどがミステリの研究書だが、古い探偵小説の復刊・再編集本も入っている。ほかにSFやライトノベル、時代小説などの研究書、文学展の図録、同人誌、PR誌、画集、人文科学・社会科学系の新書、博物学や宇宙に関する本など関心の広さがうかがえた。ネットを使わない島崎さんは目録や雑誌広告に目を通す昔ながらの方法で探求書を洗い出していた。図書目録や内容見本、販促用小冊子、古書目録も欲しい、本の状態は並みでよいが「書き込みがある本だけは駄目」という要望があった。
「日本の煎餅は美味しい」といっていたので菓子も送った。「ぼくは万華鏡が好きなの。おしゃれな奴じゃなくて子供の玩具みたいなのを買って」といわれたときは興奮を覚えた。ミステリでもっとも有名な万華鏡は『乱れからくり』に出てきたものだろう。あれは泡坂さんから編集長に向けたメッセージだったのでしょうかと聞いたら、笑いながら「そんなわけない」。だが、本当にそうだろうか。私は信じていない。
 何度も大量に本を送った。段ボールはたびたび二十キロを超え、運賃節約のためいつも船便だった。銀行手数料がもったいないといわれ、本の物々交換で清算した。私の探求書は主に台湾で島崎さんが携わった本である。入手した本のうち山村正夫の『推理文壇戦後史(4)』で紹介された仁木悦子の記事が載った『推理雑誌』や希代書版の『日本十大推理名著全集』は特に嬉しい。
 晩年は住まいを老人ホームに移し、自室が狭いため共有スペースに本棚を一部置いていた。「日本語の本は誰も借りていかないんだよね」といっていた。あの本はどうなったか。島崎さんの功績は日台のミステリ作家やファンに受け継がれると信じているが、最後に築いた蔵書はかつてのように唯一無二のものでないにせよ、なんらかのかたちで残っていることを願う。
 書誌学者の島崎さんといえど、ご自身の蔵書目録は作らなかった。だが、何枚にも渡って綴られた手書きの探求書リストは島崎さんの関心の記録として大事にしていきたい。本当にありがとうございました。謹んでご冥福をお祈りいたします。