四六時中さぼる旋毛曲がり

若桜木虔

 またまた時代考証間違いについて書かせていただく。
 ある、非常に時代考証に詳しい方が書かれた、平安時代を舞台にした悪左府についての物語を読ませていただいた。
 悪左府とは、言うまでもなく左府(左大臣)まで昇り詰めたものの、保元の乱で敗死した藤原頼長のことだが、この物語に現代フランス語の「さぼる」が出てきて唖然とした。
 これは、十九世紀頃に始まった労働者の争議戦術の一つsabotageが「サボタージュ」として日本語に入り、それが、つづまって「サボる」となったもので、平安時代の物語に出てくることなど有り得ない。
 しかし、戦国時代が舞台の時代劇にも、時たま見受ける。せっかくの面白い物語も台無しである。
「四六時中」も、時折り時代劇に見受ける誤用である。
 明治六年に太陽暦が導入されるまで、日本は太陰暦だったのだから、一日は十二刻である。
 つまり「二六時中(二×六=十二)」でなければならない。「四六時中」は、一日が二十四時間になった明治六年以降である。
 ところで、江戸時代までは、こういう掛け算が好きである。
「二八蕎麦」と言えば値段が「二×八=十六文」の蕎麦だし、妙齢の娘を「歳は二八か二九からず」と表現するが、これは「十六歳から十八歳が年頃」という意味であって、「二十八歳か二十九歳」という意味ではない。
「一枚岩」も時代劇に頻出するが、これは夏目漱石が『吾輩は猫である』が初めて使った造語であって、時代劇には使えない。
「庚申山の南側で天気のいい日に登って見ると赤松の間から城下が一目に見下ろせる眺望佳絶の平地で―そうさ広さはまあ百坪もあろうかね、真中に八畳敷ほどな一枚岩があって」と使われ、全部で四箇所に出てくる。
 時代劇に使うのなら漢書の『文帝紀』に出てくる「盤石」でなければならない。
「旋毛曲がり」も時代劇には使えない。これは、幸田露伴の造語で『対髑髏』に「其義ならば旋毛曲りの根情」に出てくるのが初出。
「臍曲がり」となると、もっと新しく、昭和二十二年に渡辺一夫が発表した『架空文庫について』で、「同じ架空文庫でも、これを作る人が若干臍まがりだと甚だ面白い文庫もできあがる」と使ったのが初出。
 時代劇に使う言葉なら、前田慶次郎で有名な「かぶく」(慶長三年に、加賀前田家に仕えた岡本慶雲が著した『加越能軍記』が初出)ぐらいしか思い当たらない。
「肝試し」も時代劇に時たま見受けるが、これは柏原兵三が昭和四十三年に『幼年時代』で「ある夏の晩、父が胆だめしを計画した」とあるのが初出で、「度胸試し」となると大正七年に北原白秋が作詞した童謡『山の唄』に「守れ権現 夜明けよ霧よ 山は命の 禊場所 行けよ荒くれ どんどと登れ 夏は男の度胸だめし」が初出。
 つまり、どっちも時代劇には使えない。
 古くからあるが、全く意味が異なるのが「小走り」で、現代の意味は、樋口一葉の造語。
 明治二十五年に発表の『うもれ木』で「洗ひざらしの裕衣の肩、我れ知らず窄めて小走りするお蝶」と使ったのが初出。
 江戸時代の「小走り」は最下級役人の名称である。
 大名の参覲交代の道中で、通常はのんびり行くのだが、何かの事情で、大急ぎで行かなければならない場合がある。
 そういう時に「今から**家の行列が行くぞ! 事故に遭わないように、道を空けろ!」と行列本隊に先行して、怒鳴って走る役目の足軽衆がいた。
 これを「走り衆」と言ったが、その中でも更に最も駿足で、身分が低く、先頭を行く足軽を「小走り」と呼んだ。
「小」は「小者」という言葉にもあるように「身分が低い」「軽輩」という意味である。
 「走り衆」は、南北朝時代の暦応四年(一三四一)に公家の中原師守の日記『師守記』に出てくる。
 明治維新で徳川幕府が倒れ、参覲交代がなくなったので「走り衆」も「小走り」も死語となり、樋口一葉の造語だけが残ったわけである。