追悼

追悼 藤子不二雄Aさん

大沢在昌

 初めてお会いしたのはおそらく四十年以上前のことだ。生島治郎さん、俳優の芦田伸介さん、藤子さんのお三方とゴルフをした。もしかするとそれより前に、赤坂の「乃なみ」という旅館で麻雀をしたことがあったかもしれない。
 初対面では緊張したが、すぐに打ち解けることができた。何せ、大きな子供のような人だった。漫画界の伝説的な人物であるにもかかわらず、それを鼻にかけることをまったくせず、生島さんや芦田さん、吉行淳之介さんなどの麻雀仲間からは本名の安孫子からとって「アビちゃん」と呼ばれていた。
 協会の会員では、生島さんの他に佐野洋さんとも親しくされていた。安孫子さん世代の漫画家は、同業者以外とあまり交流をもたない方が多いが、安孫子さんは小説家、俳優、写真家、ミュージシャンなど、多くの人と交流があり、その大半が年上で、かわいがられていた。
 二年半ほど前に六本木で飲んだのが最後だが、
「皆んないなくなっちゃって、つまんないね」
 とボヤいていた〝弟気質〟の人だった。
 だから自分が最年長だった娑婆は寂しかったにちがいない。
 三年前、エドモントホテルであった推理作家協会の懇親会にでてこられ、私や月村了衛氏、柚月裕子氏らと何人かの編集者を交えて、地下の中国料理店で食事をした。何を思ったのか、その支払いを安孫子さんが先にして帰ってしまったことがあった。
 さんざん銀座、六本木を奢らされた私としては(ボクちゃん映画で失敗したからお金ないのよ、が口癖だった)、払うならここじゃなくて別の場所だろう、とあとになってかみついたものだ。
 いつ会っても明るく、偉ぶらず、そしてマイペースの人だった。ゴルフをした日でも、午前三時過ぎまで飲んでいるタフさにはあきれた。
 お子さんがなく、奥様が施設に入られてしまい、晩年はひとり暮らしだった。家に帰っても寂しいから、といつまでも飲んでいたがった。
 安孫子さん、そっちでは兄貴分たちが手ぐすねひいて待ちかまえていますよ。
 また、たっぷり遊んでもらって下さい。