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南原詠

 初めて小説を読んだのは中学校一年の時だった。この話をすると決まって「遅い」と怒られるのだが、事実なので私としては謝るしかない(ゲームばかりしていて申し訳ありませんでした)。読んだ小説は夏目漱石の「坊ちゃん」だった。当時、定期試験の古典文法の科目にはなぜか小論文の設問があり、その課題図書だった。小論文のテーマは、「坊ちゃんは勝ったか負けたか」。読んでおかないと絶対に点が取れない以上、読書は強制だ。文字だけの本なんて読めるのかと心配しながらも、文庫本を買ってなんとか読み切りテストを受けた。どんな理屈にしたかは忘れたが、私が答案に書いた結論は「勝った」だった。試験後、古典文法の先生は「小論文なので正解はないが」と断ったうえで「僕は負けたと思う」と答えた。解説はあったが忘れた。
 以降、定期試験と長期の休みの度に課題図書が提示された。覚えている限りだと、三島由紀夫の「潮騒」、武者小路実篤の「友情」、深沢七郎「楢山節考」、プロスペル・メリメの「マテオ・ファルコーネ」などだ。感想文が課題になる場合もあったが、テーマのある小論文形式が多かった。
 印象に残っている課題は、何学年の頃だったか忘れたが夏休みの宿題で与えられた「こころ」の小論文だ。夏目漱石が再び課題になった。小論文のテーマは二つ。一つは「Kはなぜ○○したか」(課題のくせに伏せられていたが、先生は「読めばわかる」とだけ答えた)。二つ目は「『明治の精神』とは何か」。一つ目のテーマは確かに読めばわかった(答えられるかどうかは別だったが)。しかし二つ目のテーマは全く書きようがなかった。作中で問題の単語はなんとか見つけられたが、見つけたところでそれが何かなんてわからない。インターネットが普及していなかった当時、外部に答を求めることは困難だった。お手上げだった。二つ目のテーマの答はほとんど書けなかった。これも先生から解説があったが、聞いても理解できなかった。
 そんな私だったので、高校生になって理系に進み国語から距離を置いたのは当然だったのかもしれない。
 あれから三十年弱が経った。インターネットも普及し、難題だった『明治の精神』の正体も検索すればわかる時代になった。課題図書の内容はほとんど覚えていないが、はっきり記憶に残っていることがあった。問いかけそれ自身に対する感情だ。答えられるかどうかは別として――そもそもまともに答えられた例はなかった――問いかけられるたび、自分の中にはいつも小さな興奮が巻き起こった。「坊ちゃんは勝ったか負けたか」「Kはなぜ○○したか」「マテオの行為は悪か」。問いかけられることそれ自体が私にとっては快感だった。
 問いかけにもいろいろな形がある。正確な分類ではないだろうが、例えば「『明治の精神』とは何か」のような答にある程度の幅がある(かもしれない)ものや、「誰が犯人か」のように予め答が一意に定まっているものがある。
 今までを振り返ると、私が好きな問いかけはそれらではなく、「どうすれば相手を説得できるか」「どうすればこのピンチを脱出できるか」のようなタイプの問いかけだった。困ったことに、前者二つのタイプと異なりこのタイプは答の存在が保証されていない。にもかかわらず、私は最も心を惹かれてきた。
 物語を作ることは問いかけをする立場になることではない。主人公に問いかけることはよくある。どうやってこの不利な状況を潜り抜けるのか。でもそれは自分自身に対する問いかけに他ならない。解は保証されていない。
 どうせなら誰も考えたことのない問いかけをし、誰も考えつかなかった答を提示してみせたい。最高の問いかけとその答は何か。問いかけに対する問いかけは続く。

 この度、若桜木虔先生のご推薦を賜りまして入会させていただきました、南原詠と申します。ご推薦下さった若桜木先生、入会をご許可頂いた理事会の皆様、事務局の皆様に対し、この場をお借りしてお礼申し上げます。第二十回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞させていただき、スタートラインに立たせていただきました。
 伝統ある推理作家協会の名に恥じぬよう努力していく所存です。よろしくお願い申し上げます。