新入会員紹介

入会の挨拶

城戸喜由

 私は昔からオンラインゲームをやっているのですが、今と昔で一番変わったと思う点はグラフィックやシステムではなく、コミュニケーションの形態です。
 昔はチーム戦が主体でした。モンスターを倒してキャラクターを育てるようなMMORPGでは仲間とパーティーを組んで強力なボスを倒すことが求められましたし、銃で撃ち合うFPSでは敵味方のチームに分かれて対戦しました。
 結果、どのようなことが起きたか?
 暴言や荒らしによるギスギスオンラインです。黎明期、私たちは双方向性コミュニケーションといってネットを持て囃しましたが、待っていたのは匿名性によって浮き彫りになった人間の醜さだけでした。
 当然、ゲーム運営側もそんなことは承知していましたから、時代が進むにつれてオンラインゲームの傾向は変わっていきました。
 まず、チーム戦が廃れていきました。チーム戦はプロの大会を観戦して楽しむ場となり、一般プレイヤーは一対一の個人戦を楽しむようになります。
 しかし一対一の対戦には致命的な問題がありました。
 負ける試合が多すぎるということです。
 単純計算で勝率は五十パーセントです。強い人なら勝率を上げられますが、対戦は同程度の強さの人とマッチングするため、勝率六十パーセントもあればとてつもない強さのプレイヤーです。
 当然プレイヤーは負けまくります。そんなゲームが楽しいですか?
 チーム戦によるギスギスオンラインは、ある種、逃げ道ではありました。自分は悪くない。味方が悪い。しかし個人戦ではその逃げ道は使えません。一対一の個人戦は、ただひたすら勝てない苦しみをプレイヤーに味わわせました。
 そんな中、彗星の如く現れたのがバトロワ方式です。
 簡単に言うと、百人で殺し合って最後に生き残った一人が優勝、というゲーム形式です。
 これは発明でした。
 一対一のゲームでは勝てば一位、負ければ最下位でした。しかしバトロワ形式には百位から一位まで細かく順位が設定されています。
 たとえば、二十位に入れたら悪くないですし、九位に入れたら、やった一桁だ、と思うのではないでしょうか。
 これは、負けを許容するゲームデザイン、と言えます。もう少し踏み込んだ言い方をすると、百人がそれぞれ一人用ゲームを行っているのと同義です。
 バトロワ形式はプレイヤーからイライラを取り去りました。以降、様々なゲームでこの形式が採用されるようになります。
 これは何を意味しているのでしょうか?
 その答えを考察する前に、もう一つ、オンラインゲームの変わってきた傾向があります。
 それは言語的コミュニケーションの排除です。プレイヤーはゲーム世界を共有はしますが、チャットは不可。エモートやスタンプによって最低限の感情を示すことはできますが、細かいニュアンスを伝えることはできません。これらは荒らしや暴言に対する回答と言えるでしょう。
 これらのことから何がわかるか?
 社会はコミュニケーションを嫌っている、ということです。
 現在、SNSは隆盛を極めていますが、私見を述べさせてもらいますと、こんなものは太古のオンラインゲームのチャットの焼き直しに過ぎません。実際、酷い暴言や荒らしが蔓延っています。こんな有様ですから、SNS疲れが発生するのもやむなしと言ったところでしょう。
 結局、双方向性コミュニケーションの限界が露呈しているのです。これからSNSは廃れていくと思います。オンラインゲームの通った道を辿るように。
 その先の世界では何が待っているか?