ハガキ随想

ボケ防止にやっていること

若桜木虔

 日本国語大辞典という、日本で最大の国語辞典がある。この辞典は、時代劇を書こうとする人間にとっては必須(と私は考えている)。
 日本国語大辞典の特徴は、見出し語となっている言葉が、いつ誰によって最初に使われたのか、が出ていることである。つまり、この辞典で調べれば、書こうとしている時代に、その言葉が使われているか否かが分かる。
「その時代には存在しなかった言葉」を使ってしまう時代考証間違いを犯さずに済む。が、時代考証に正確を期そうとすると、使いたいのに使えない言葉が出て来て困る。少し、その例を挙げてみる。
「雰囲気」は北原白秋の造語。江戸時代の文政十年が「雰囲気」の初出だが、これは「地球を取り巻く気体」という意味(まだ「空気」という言葉がない)だった。ずばりニュアンス的に同じ代替用語が見つからない。
「迷信」「情報」は森鴎外の造語。「不可能」「一枚岩」は夏目漱石の造語。「天衣無縫」は正岡子規の造語。「勘違い」「小走り」は樋口一葉の造語。「深呼吸」は石川啄木の造語。
 面白いのは「戸惑い」だ。現代の用法の「戸惑い」は尾崎紅葉の造語。「戸惑い」は江戸時代からある言葉だが、「入るべき家の戸口の位置が分からずに惑う」という意味だった。
 江戸時代には表札を掲げる習慣がなかったから、似たような家が建ち並ぶ武家屋敷街などに行ったら、確かに「俺が訪ねてきた屋敷の戸口は、どこだ?」と戸惑うことになるが。
「血飛沫」は昭和時代の造語。江戸時代だと「血が繁吹く」と言った。これなどは代替用語があるから良いが、「返り血」は太平洋戦争以降の中島敦の造語。時代劇のチャンバラ・シーンで返り血を浴びたら、どう書いて良いのか、実に弱る。
「魅力」は谷崎潤一郎の、「魅力的」は高見順の造語。これは「魅入られる」という動詞を使えば良いから問題ないが。
「頑張る」は太平洋戦争以降の造語。戦前は、「がんばる」は「眼張る」と表記し、歌舞伎役者が両眼をカッと極限まで見開いて見得を切るような動きを意味した。確かに、何かに頑張ろうとする際に、そういう表情をする人は、いる。そこからできた言葉だろう。
 なぜ、こういうことを書いたかというと、ある若手の時代劇作家から「初めての版元と付き合ったら、そこの校閲さんが時代考証にやたら煩くて、『日本国語大辞典によれば、この物語の時代に、この言葉は存在しません』と、言葉の書き換えを求められるんです」という悩み相談を持ち掛けられたことに始まる。
 私は、それまで日本国語大辞典の初出を信じていたが、「果たして、本当にそうか?」と、ふっと疑問に持ち、古事記、日本書紀、懐風藻、続日本紀、日本文徳天皇実録、本朝文粋などに当たる作業を始めた。いずれも奈良時代から平安時代前期までの古典である。
 書き下し文だと、どうしても書き下した人の恣意的な作為が入り込むので、原文の漢文で読んだ。今も読み続けて、ボケ防止に役立てているが。
 そうすると、幕末から明治にかけての造語とされる言葉(日本国語大辞典では、頼山陽、福沢諭吉、坪内逍遙などの造語だと、解説されている)が、次から次へと見つかる。
 つまり、こういった幕末から明治にかけての文豪たちは日本の古典を原文で読んでいたことが実感できた。
 ミステリー関係の言葉だと「逮捕」は、日本国語大辞典によれば、文政十年に頼山陽が日本で最初に使ったことになっている。しかし、一千年以上も前の日本書紀に出て来るのだ。壬申の乱で敗れた大友皇子が「逮捕」されている。
「前科」は魏志には出て来るが、日本では大正十一年に里見弴が初めて使ったことになっている。ところが、本朝文粋で紀長谷雄が使っている。
「致死」は、日本国語大辞典によれば、上田敏が『海潮音』で初めて使ったことになっているが、これまた日本書紀に出て来る。
 また「犯人」は日本国語大辞典によれば将門記(西暦九四〇年頃に成立)が初出となっている。ところが、もっと遙かに前、続日本後紀の承和六年(八三九)の項に「彈正臺及検非違使。雖配置各異。而糺彈違犯。彼此一同。但至犯人逃走」と出て来る、といった調子。
 ところで、日本国語大辞典には、収録の漏れ落ちを指摘して改訂時に採用して貰う《日国友の会》という投稿サイトがある。
 ここに、漏れ落ちに気付く都度、投稿していったのだが、遂に、その投稿回数が四千を突破した(日本国語大辞典ほどの大辞典にして、いかに漏れ落ちがあるかが分かるだろう)ので、この一文を纏めてみた次第である。