追悼

追悼 和久峻三先生

小梛治宣

 法廷ミステリーのパイオニアとして、故人がわが国のミステリー界に遺した足跡は、きわめて大きい。その代表作の一つが、短編だけでも百編を超える〈赤かぶ検事シリーズ〉である。主人公の 柊茂(ひいらぎ しげる)が、司法試験合格のエリート検事ではなく、検察事務官から這い上がってきた苦労人であるところが読者の共感を得たともいえるが、ミステリーとしてのその謎解きの鮮やかさも群を抜いていた。
 故人が、ミステリー作家として離陸(テイク・オフ)するのは、一九七二年に、第十八回江戸川乱歩賞を「仮面法廷」で受賞して以後のことだが、そこに至るまでの助走の時期が長い。そのあたりは赤かぶ検事の柊茂と相通ずるものがある。京都弁護士会の有志が発行している文芸同人誌『奔馬』第三十一号(二〇〇四年)に処女作「紅い月」の再録とともに故人が小説に手を染めることになった経緯(いきさつ)が述べられている。
 京都大学法学部卒業後、中日新聞記者をしていた一九五九年、故人は江戸川乱歩編集責任の『宝石』と出会う。それまで推理小説を読んだことがなかった故人は、そこに掲載されている横溝正史や松本清張らの作品にすっかり魅せられてしまった。さらに、巻末の宝石新人賞募集の広告を目にしたとき、自分にも書けそうだという気がしてきた。そこで書き上げたのが、大学医学部の複雑な人間関係を土台にした「紅い月」。しかも応募した、この作品が、受賞こそ逸したものの候補作の一つとして『宝石』に掲載されることになったのだ。
〈生まれて初めて書いた小説が雑誌に掲載されたときの私の感動は、一生涯、忘れることができないものとなりました〉――この衝撃が、推理作家への道を突き進む決意をさせることになった。しかも、そのために司法試験を目指すことになるのだ。
 故人はそのころ、E・S・ガードナーの「ペリー・メイスン」シリーズに強くひかれていた。日本には、法廷を舞台としたミステリーは、ほとんど存在しない。それならば、〈日本の作家が誰一人手がけなかった分野を自分独自の領域にしたいと決心し〉、司法試験にチャレンジすることになったわけである。
 そうした助走期を経て、『仮面法廷』でいよいよ本格的にテイク・オフすることになるのだが、その後は水を得た魚のごとく、赤かぶ検事ばかりでなく、〈告発弁護士シリーズ〉の猪狩文助や〈芸者弁護士シリーズ〉の藤波清香といったユニークなキャラクターを次々と生み出し、法廷ミステリーの第一人者となる。だが、故人の才能は、法廷ミステリーの枠を超え、『多国籍企業殺人事件』や『円高の陰謀』といった経済・企業小説、『東京インフェルノ』などのパニック小説、あるいはホラー系の『吸血マドンナ』など多彩なエンターテインメント作品を生み出していった。
 そうしてみると故人は「エンターテインメント小説の求道者」であったともいえる。その結晶の一つが、第四十二回日本推理作家協会賞(一九八九年)を受賞した『雨月荘殺人事件』である。本書は、ミステリー史上類例をみない作品でもあった。
 読者が買い求め易いようにと文庫形式での出版にも頑固に拘っていた。プロ級の腕前で撮られた口絵代わりの写真も読者へのサービスだった。「無類に面白い小説を、たくさんの読者に提供したい」
――これが故人の信念であった。ご冥福を心よりお祈り致します。