松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアス・イベント探訪記 第76回
圧倒的な音の奥行きがアクション映画にただならぬ臨場感を与えるシネマコンサート『カジノ・ロワイヤル』のど迫力 2018年4月29日

 年寄りの思い込みの激しさって、困ったものだという事態に直面した。
 数ヵ月前、コンサートのチケットなどの販売サイトから、新しい出し物の予告があって、それに飛びついた。
 4月29日、東京フォーラムで東京フィルハーモニーの『カジノ・ロワイヤル』の演奏会があるという。おー、これは素晴らしいとすぐに予約したのだが、そのとき、頭にあったのは1967年(昭和42年版)の『カジノ・ロワイヤル』だった。
 イアン・フレミングの原作を自由に脚色し、5人のボンドが登場する異色作だ。ピーター・セラーズ、デヴィッド・二ーヴン、ウッディ・アレンなどが出演、それぞれのボンドが、スメルシュの大立者ル・シッフル(オースン・ウェルズが演じる)を追い詰めていくという筋だが、まあ、全体に超ナンセンスで、こんな企画にまあ、どえらいお金を使ったもんだと絶句ものの仕上がりだった。
 筆者が、『カジノ・ロワイヤル』のコンサートと聞いて、こっちを思い出したのは、この映画の音楽がとにかく傑作揃いの楽曲ばかりというのが理由。
 音楽監督は絶頂期のバート・バカラック。途中、流れるダスティ・スプリングフィールドの『恋の面影』(ア・ルック・オブ・ラブ)のあの甘いため息のような不朽のラブバラードを思い出す方もおられよう。
 主題歌は金管楽器楽団のハーブ・アルバートとティファナブラスの作曲、演奏だが、これまたご機嫌の一言だ。
 どこかで書いたけど、僕の20世紀作曲家ベストスリー(ポップスだよ)はポール・マッカートニーに筒美京平、それにバカラックだから、おー、久しぶりにフルオーケストラでバカラックが聞けるとは、生きていて良かったと思い込んでしまったのだ。予約してチケットを受け取ってからも、当日までなんの疑いもなかった。
 ところが4月29日、会場に行ってみたら、貼ってあるポスターが、ダニエル・クレイグのボンド映画ではないか。その瞬間まで、このコンサートが、クレイグ版『カジノ・ロワイヤル』と気づかなかったのだから、まあ、困ったものだ。考えてみれば、50年も前の映画音楽のコンサーを、東京フォーラムのような何千席もある小屋でやるはずもないのだが、どうも思い込みというのは困ったものだ。
 結局、コンサートは2006年公開版、ダニエル・クレイグのボンド第一弾のシネマコンサート、通称シネオケだったのである。
 シネマコンサートは、大画面に映画そのものを映し、台詞や効果音はそのまま、ただ音楽の部分だけを、フルオーケストラで再現、画面にかぶせるというものだ。そんなことが出来るの? と思うようなテクノロジーだが、1000分の一秒の狂いでもカウントできるというのが指揮者といわれて、ナマオケでも画面と寸分の狂いもなく同調させるのだから、すごいものだなと思う。
 東京フォーラムの大ホールなので、スクリーン自体が通常の映画館よりもはるかに大きく、昔の70ミリ大作、シネラマを見ているような臨場感がある。冒頭のアフリカの大アクションシーンから凄い画像の解像力で、アクションシーンを眺めているというより、体感できる感じだ。
 そして、音の奥行き。
 これはもう圧倒的というしかない。
 ボンドとヴェスパーの間でかわされる愛のバラードと言うべき「ユー・ノウ・ミー」などやはり、小さな音がきちんと響いてくるのはナマオケならではのことだろう。
 指揮はニコラス・バック、演奏は東京フィルハーモニー交響楽団。
 作曲は1962年生まれのデヴィッド・アーノルド。8歳のときに、『007は二度死ぬ』を見て、映画とバック音楽の虜になったデヴィッド青年は、作曲家の理想をジョン・バリーに見て、彼を目指すことになる。
 1995年から96年にかけて、自分自身をジョン・バリーにプレゼンする気持ちも込めて、彼なりのボンドプロジェクトに着手する。これまでのボンド映画の主題歌を彼なりにアレンジしたカバーバージョンで、”Shaken and Stirrd”という名のCDに結実する。
 これを聞いたジョン・バリーはためらいなくボンド映画の新作の作曲家として彼を指名する。ピアーズ・プロズナンの『トゥモロー・ネバー・ダイ』である。シェリル・クロウが歌ったボーカルが大ヒットした。
 その後、『ワールド・イズ・ノット・イナッフ』『ダイ・アナザー・デイ』とプロズナン版を手掛け、そしてボンドシリーズのリフレッシュを目指した『カジノ・ロワイヤル』と続くのである。
 アーノルドの楽曲はジョン・バリーの007初期作に戻った感じで、オーケストラの全機能を使う感じのスコアだ。重層的でメロディアス。どちらかというとロマンチックな味わいが勝っている。
 コンサートの終わり、007が「名前はボンド、ジェームズ・ボンド」と語ったところから始まるジェームズ・ボンドのテーマ(モンティ・ノーマン作曲)。この素晴らしいこと。スリリングでわくわくする感じ。実際、この最後の演奏を聞けただけでも9800円なりの入場料は回収できたと思うな。
 とはいえ、バカッラクの演奏会もやっぱり聞きたかったと望蜀の念。家へ帰って、バカラック版のサントラ、聞き直した次第。