松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアス・イベント探訪記第64回
死ぬまで本を買い続け、読み続ける、それが僕の生き方!伝説の幻影城編集長、島崎博さん(84)訪問記

ミステリコンシェルジュ 松坂健

 島崎博さんに会ってきた。
 島崎さんは、名雑誌「幻影城」の編集者として、いまも若い探偵小説好みのファンにカリスマ的人気を誇っている人だから、良く使われる「あの」なんて冠も不要だろう。
 たまたま奉職する大学で、台湾・高雄市にある大学との提携話があって、その下交渉のチームに加えてもらったのがきっかけ。台湾に行けるなら、島崎さんに会ってこない手はない。ということで、アポイントの電話を入れると、例の突っ込むような口調で返事がくる。「いつ、来るの~」「奥さん来ないの~」という具合で、とにかく喜んでくれているようなので、こっちも安心した。なにしろ1933年生まれ、今年で84歳といいうお年だ。
 僕と島崎さんが知り合ったのは、雑誌創刊以前のことなので、40年間以上になる。実は僕のかみさんの方が早く知り合っているので、「奥さん、来ないの~」という問いかけになるのだが、その経緯は野地嘉文さんが2016年1月に刊行した「幻影城No55」最終号に書かせてもらった「もうひとつの幻影の城」に詳しい。ともあれ、そんなことで女房(一泊二日の弾丸ツアー)を連れて、島崎さんの現在の住居にこの3月17日にお邪魔した。
 今のお住まいは台北市新生北路というところで、繁華街に近い老人ホームだ。老人ホームといっても、どうやら看護もついた高級なもので、島崎さんはその4階の一角。たまたま、ドアの外が割と広めのパブリックスペースになっていて、ホームの管理者が読書室のような体裁に作ってある。外に面したベランダ側以外の3面が本棚に覆われていて、そこに中国語のミステリ(多量ではない)と日本から持ち込んだミステリがぎっしり並べられている。公共の図書室とはいうものの、実際は島崎さんの書庫の延長みたいなものだ。「置いてあってもね、日本語の本だから誰も読まない。だから痛まないよ」と島崎氏の弁。
 お部屋の中は予想していたとはいえ、やはり本がぎっしり。ミステリ関係の文献がほとんどを占めるが、これには前出の幻影城終刊号編集長、野地さんの貢献が大とのこと。ミステリへの情熱に翳りはない。
 ひとしきりこの部屋で談話したのち、町に出て飲茶の大繁盛店に連れて行っていただいた。日本からの来客はたいていここで食事という段取りで、とにかく人が入っているお店だ。24時間営業だが、どんな時間帯に行っても行列とのこと(但し、日本で有名な鼎泰豊ではない)。
 ここで島崎さんとミステリのこと含めて雑談ひととき。
 ミステリ史的に見るなら、島崎さんの貢献は、1960年代の宝石誌を舞台にした書誌つきの作家研究分野の確立、1970年代後半の幻影城刊行。そして1990年代以降、台湾に戻られてからの日本ミステリ輸入、台湾での定着ということになるだろう。
 もちろん、幻影城は日本の本格探偵小説復興の気運を盛り上げて、後に続く新本格派の俊秀たちの誕生を促したし、雑誌自らも泡坂妻夫、連城三紀彦、竹本健治、評論だが栗本薫(中島梓)などの才能を送り出したから、大変な功績を残していると思う。
 台湾での活動も地味ながら、ミステリ未開の地に、新たなジャンルを定着させたのだから、この開拓者としての力も評価しないといけないと思う。推理作家協会に海外貢献部門賞があれば、やはり顕彰に値すると思う。
 ちなみに、今、台湾で人気は新本格派ブームが一段落、東野圭吾、宮部みゆきのお二方が断トツの人気とのこと。
 ということなのだが、僕が島崎さんに会いたかった最大の理由は、あることについての僕の記憶が正しいかどうか、確認だった。
 僕が島崎さんの業績の中でもっとも高く評価しているのは、1972年1月に薔薇十字社で刊行された『定本・三島由紀夫書誌』だ。
 三島の書誌なら国文学者系の人なら誰でも作りたがるだろうが、現実には島崎さんが薔薇十字の名編集者、内藤三津子さんとの縁があって、任にあたることになった。島崎さんの文献集めの執念、整理能力、そして三島邸の蔵書目録まで入れる本を愛する熱情の激しさが、この本を生んだ。実際、この書誌と安藤武さんが編んだ『三島由紀夫「日録」』(未知谷)を眺めている方が凡百の三島論を読むよりよほど為になる。
 この本が刊行された頃だったか、三島邸の様子を伺ったことがある。島崎さんの思い出話のなかでいちばん印象的だったのが、三島さんが原稿を書くデスクの様子だった。デスクの上からゴム紐がいっぱい垂れていて、その先にペン、消しゴム、鉛筆、ホッチキスなどの文房具が付けられていたというのである。なるほど、それなら使い終わると、びーんとまた頭上に戻るだけだから、散逸しない。
 三島文学は耽美的なもので、書斎も本や雑誌がちらばっているイメージがあるけれど、現実はすこぶる事務合理性に満ちている。そんな対比が面白かったのだが、その後、刊行された三島由紀夫邸の写真集(篠山紀信撮影)などを見ると、書斎にそんなゴム紐は吊るされていない。だから、くどいようだけど、本当に文房具吊り下げがあったんですよね、と再確認したかったのだ。僕の見るところ、三島の美への傾斜ときわめて実務的な体質の同居が彼をして際立たせているものなので、大事なのだ。
 作家は亡くなると、遺族が書斎を死の直前までのままに保存しているというんだけど、やはり人に見せるとなると整理整頓するものなのだな、と残念に思う。
 この『三島由紀夫書誌』の蔵書目録も興味深い。三島死亡時現存の作家さんの書目は収録しない方針だったが、三島がどんな本を大事にしていたか、よくわかる。こういう目録を残しておこうというのも島崎さんならではのことだったと思う。ちなみに、ミステリはほとんど架蔵されていないけれど、SFは早川のSFシリーズが相当数残されている。彼が何を架蔵していたじゃではなく、何を架蔵していなかったかも大事なテーマだ。
 ともあれ、そんなたわいない会話で2時間半。お別れの間際、「これから何かされるご予定は?」と尋ねたら、「ひとつだけ、死ぬまで本を買い続け、読み続けること。それだけね。松坂さんはあと何年勤められるの? 二年? いいね、まだまだたくさん本が買えるね。羨ましいよ」と一言。
 稀代の愛書家、ここにあり!