土曜サロン

「わたしの戦後70年――戦争、原爆、三島由紀夫、ヤプー」
第206回土曜サロン@村上芳正さん

「僕は今年九十三歳で長崎の生まれなんです。長崎ってのは小さな町で、たくさんの教会があって坂があって、きれいないいところです。それをアメリカはあの浦上天主堂の真上に原爆を落としたんですよ……。
 僕は家庭がよくなくて、父親は別に家庭を持っていて、母親は男性と駆け落ちして、親戚中をたらい廻しにされて育ったんです。そうしたことをずーっと引きずって、この齢まで生きてきたように思います。絵は子どものころから好きだったんですが、絵なんか描いてると碌な大人になれないぞ、とどやしつけられるような時代でした。中学三年のときに家の事情で中退したんですが、三菱製鋼所へ就職の面接に行ったときは、誰も保証人になってくれないんです。事情を話したら面接官の方が同情してその方が保証人になってくれて、ありがたくてありがたくて涙が出ました。
 太平洋戦争が始まって、十九歳のとき赤紙が来ました。軍隊ってのはひどいところで、上官たちはひまつぶしに兵隊同士、殴りっこさせるんです。いろんな鬱屈を下のほうへ発散させてるんでしょう。台湾へ出征したんですが、同じ船のなかに韓国人の従軍慰安婦の女性たちが乗っていて、韓国語で物悲しい歌を唄ってました。途中、船団が魚雷で撃沈されまして、翌朝、朝日のなか、たくさんの戦友たちが大海原にバアーッと投げ出されて、黄色い救命胴衣をつけてプカプカ浮いているのを見ました。あれは忘れられないです。ひとつ間違えば、自分がああなっていたわけです。
 台湾では飛行場の整備兵でした。戦争末期のころですから一所懸命、手入れをして飛行機を送り出しても、すぐに墜落しちゃったり、あっというまに敵機にやられちゃう。特攻隊なんて乗り込むのはみんな少年です。それを頑張れよーって泣きながら送り出す。悲しいですよ……。
 そして戦争が終わって長崎へ戻ってみたら原爆で焼け野原。助かった友達でも二次感染で被爆して犠牲になっちゃう。よく僕なんか生き残ったものだと思います。
 戦後、僕は役者になろうと思って上京したんです。でも芝居じゃ喰えない。いろいろアルバイトをやり、街頭の似顔絵書きもやりました。そうしているうちイラストレーターの鈴木悦郎さんから『ジュニアそれいゆ』を紹介され、イラストの仕事をするようになりました。でも自分の絵を描きたいと思い、油絵に挑戦して二科展に出品し、五年連続で入選しました。でもお金が続かなくてタブローは続けられなかった。絵だけじゃ喰えないんですよ。だから絵の傍ら、自分が住んでたアパートの管理人や、平成になっても都庁の清掃作業なんかもしました。ええ、有楽町じゃなく新宿の都庁のビルでです。
 昭和三十六年に知人から三島由紀夫さんを紹介され、河野多惠子さん、多田智満子さん、吉行淳之介さん、倉橋由美子さん、ジャン・ジュネ全集なんかの装幀をするようになりました。でも一番思い出深いのは三島さんの遺作『豊饒の海』ですね。三島さんはどうしてか僕を気にかけてくれて、二人でいいものにしようと随分相談を重ねました。三島さんはナルシシズムの強い方で、剣道場やボクシングのリングで「村上くん、僕のことを描きたまえ」って云うんですけど、そんなすぐ描けるわけないじゃないですか(笑)。そのくせ僕が本当の軍隊の話をするとイヤそうな顔をしてそっぽを向くんです。でも三島さんがあんな亡くなりかたをするとは思いませんでしたねえ……。
 その後は沼正三さんの『家畜人ヤプー』や澁澤龍彦さんの『暗黒のメルヘン』、連城三紀彦さんの『戻り川心中』、皆川博子さんの『瀧夜叉』なんかを手掛けました。『ヤプー』は僕の代表作みたいになってしまいましたが、小説は気持ちわるくてねぇ、だって糞尿譚でしょ(笑)。リアリズムで描くわけにはいかない。僕なりに美的にきれいに描こうと思って、それが成功したんでしょうか。連城さん、皆川さんはうちのアパートまでお越しいただいて楽しかった。探偵小説専門誌『幻影城』で島崎博さんが僕の特集を組んでくれたのも思い出深いです。
 昨日、安保法案が成立しましたね。安倍首相も三島さんと一緒で、いいおうちのお生まれ、いいご家庭でお育ちですから、戦争や軍隊のこと、本当にはわからないんでしょう。せっかく戦後七十年、戦争をしないでこれたのに、なにやってるんだろうなと思います。僕は戦争や原爆のこともそうですが、家庭環境、とりわけ母に捨てられたことが大きいのでしょう、この年齢まで?み取ったことといえば虚無感だけです。さびしいな、と思います。でも、今日は皆さん若い方たち、きれいなお嬢さんたちが遊びに来てくれて本当にうれしいですよ。
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 おみやげ? え、ゴディバのチョコレート? わー、僕大好きなんですよ。こっちはゴディバのビスケット? へー! 初めて食べました。わー、おいしいねえ。いやー、今日は楽しかったです。つまらない話ばっかりしてごめんなさい。ありがとうございます。ありがとうございます」

[参加者]石井春生、北原尚彦、時武ぼたん、本多正一(文責)、水島裕子、撮影:内藤麻里子(毎日新聞社)