新入会員紹介

入会のご挨拶

前川裕

 はじめまして。前川裕と申します。三年前、『クリーピー』という作品で第十五回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、作家デビューさせていただきました。私の場合、デビューしたとき既に還暦で、新人と呼ぶにはいささか薹(とう)が立ち過ぎているという印象を免れなかったことでしょう。それまで三十年近く大学に勤めており、今も辞めておりません。大学では、比較文学・文化あるいは英語などを教えております。
 つまり、二足の草鞋(わらじ)を履いているわけですが、世間的には大学の先生というのは恐ろしく暇な職業だと思われているようで、だからこそ二足の草鞋も可能なのだと考えている人も多いようです。実際、何十年も前のことだったと思いますが、全日本職業別長生きランキングというのがあって、そのランキングでは大学教授が堂々と二位に入っていたのを何となく記憶しています。これを名誉なことと考えるかは若干微妙で、大学教授はそれだけストレスのかからない暇な職業とも言えたわけです。
 しかし、時代は変わり、必ずしもそうではなくなってきたようです。外部機関による認証評価システムが定着するにつれて、大学改革という名の下に教員たちがこなさなければならない行政的な雑務が激増しています。それに授業そのものも九十分フルタイムで教えるのが常識になっています。私がまだ若い講師であった頃は、三十分遅れて教室に行き、三十分はやく授業をやめてしまうような豪傑教授もいたのですが、今ではそんな教授は皆無です。授業開始のチャイムが鳴ると、教員控え室の先生たちが機械仕掛けのロボットのように立ち上がり、教室に向かって直進するという不気味な光景が繰り広げられています。
 大学の先生には、論文を書き研究業績を上げる仕事もあります。論文を書くという行為は小説を書くことに似ていると思っている人もいるかも知れませんが、実際にはかなり違います。論文の場合、過去の先行研究について調べることが要求され、それをせず自分の考えばかりを述べている論文は、アカデミックな品格に欠けると判断されます。従って、調べることが大きな比重を占め、その意味では費やした時間と作品の出来が比較的比例していると言えるのではないでしょうか。
 ところが、小説の場合はそうではありません。自分の小説の善し悪しは、アマチュアの頃はまさに公募の賞に応募して、予選の通過レベルなどで判断するしかなかったのですが、今では一般読者の目に触れる前に各出版社の編集担当者が読んでくれ、一応の評価を伝えてくれます。すごく時間を掛け、いい評価を期待していた作品が意外に厳しい評価を受け、書き飛ばしたような作品が案外高い評価であることもそれほど稀ではありません。それはそれで大変勉強になるのですが、作家と編集者は、いつもある種の緊張関係を孕んだ真剣勝負のような関係で、ときには気楽に小説の作り方などを話し合える作家仲間が欲しいと思うこともあります。
 ですが、よくよく考えて見ると、作家になったと言っても、私が知っていると言えるプロ作家はごく限られています。そんなことを、たまたま私の大学にお見えになった薬丸岳さんに申し上げたら、ご親切にも推理作家協会に入会するための事務的な手続きについていろいろと教えてくださり、無事入会することができました。この協会に入ることができたことは、私にとって大きな喜びであり、また名誉なことでもありますから、ここで薬丸さんを始め、私の入会にご尽力いただいた関係者の方々に心より感謝申し上げたいと思います。
 大学の先生というのは、風変わりな人も多く、私の印象では三人に一人ぐらいが「変な人」です。(これは必ずしも悪い意味ではありませんが。)こんなことを書くと「お前もその一人だろ」と警戒されると困りますので、念のために申し上げておきますが、私はけっしてそういう範疇に入る人間ではないと思っています。ただ、何しろデビュー作のタイトルが『クリーピー』で、これは「気味の悪い」という意味である上に、その他の作品も一言で片付けると、不気味で残酷な作風ですから、初対面の編集者の方から「もっと変わった人かと思っていましたが、案外普通の人なのでほっとしました」などと言われることがよくあります。これを気味の悪さを売り物にする作家として喜ぶべきかどうかは別にして、私が少なくとも表面上は普通に見えることの証左として申し上げておきます。
 推理作家協会では、趣味などによる集まりもあるようですので、また新たな人間関係ができることを楽しみにしております。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。