士農工商のこと

若桜木虔

 江戸時代に、士農工商などといった身分制度は、存在しなかった。そのことを近著『時代劇の間違い探し』で、素人にも理解しやすいように論証したのだが、東大の理科系OB会で、真っ向からイチャモンを付けてきた人物がいた。
 「お前の本は読んでいないし、読む気も全然ないが、お前は間違っている。江戸時代には厳然と、士農工商の身分制度が存在したのだ」と言い張って、一歩も引かない。
 さすがに頭に来た私は「無知なド素人が、知ったかぶって偉そうにほざくな。私は馬鹿を相手にする気はない」と言い返して、その場でOB会の退会を宣言した。
 そもそも、江戸時代に士農工商の身分制度など存在しなかったことは、近年の歴史学の検証作業によって明らかにされており、文科省検定の日本史教科書からも「士農工商」の文言が消えて久しい(山本博文氏なども書いている)。
 もっとも、日本推理作家協会の会員諸氏は大多数が「江戸時代には士農工商という厳然たる身分制度が存在した」と教わったはずで、教わっていなければ、年齢的に平成生まれの二十代である。
 旧時代の知識で書かれた時代小説を読むと、遺憾ながら間違いが多い。誰の作品だったか、江戸時代の大百姓が御家人になりたさに家屋敷を手放す、という物語で、これには唖然としてしまった。
 現代風に喩えるなら、中小の信用金庫の理事長が「公務員のほうが生活が安定している」という理由で家屋敷を売り払い、それを就活資金として投入して市役所の平職員になろうと悪戦苦闘する、というようなストーリーになる。有り得ないことだ。
 士農工商のみならず、江戸時代には存在せず、明治維新後に明治政府や、その御用学者によって創られた造語(つまり江戸時代を含んで、それ以前の時代の物語には使えない)は、実に多い。
 鎖国令(そもそも「鎖国」という言葉がなく、一括りに「鎖国令」とされるものは、個別に長ったらしい名前がついていた)、藩校(「学問所」と言った)、脱藩(これは明治維新後の造語で、しかもフランス語からの誤訳)、藩士(「家臣」とか「家来」と言った)などが主なところ。
 「玄関」は将軍に対面する資格のある者(御目見以上)でなければ家に構えられないのだが、下級武士や一般庶民の家に玄関があったり、目的の屋敷を探し当てるために表札を順繰りに見て回ったり(江戸時代に表札はなかったし、郵便制度が発足した後も、かなりの期間、表札を掲げる習慣がなかった)といったトンデモ時代劇を読まされると、心底、不愉快になる。ちょっと調べれば分かる程度の初歩的な時代考証から、なぜ、こうも安直に手を抜くのか、私には理解できない。
 通称と諱(本名)の違いが分かっていない人も、実に多い(戦国時代から江戸時代にかけての武士は基本的に「苗字+通称(官位がある者は官位)+諱」という三層構造をしていた。
 まあ、この点に関しては、よほど詳しく資料に当たらなければ分からないから、致し方ないとして、これだけ時代劇がブームになっている以上、最低限の時代考証の勉強ぐらいは、してもらいたいと、苦言を呈しておく。