囲碁

私は名人です

郷原宏

 谷川俊太郎に「本当のことを言おうか/詩人の振りをしているが/私は本当は詩人ではない」という詩がある。詩人の言葉をそのまま信じてはいけない。谷川さんがこの詩で言おうとしたのは、詩人とはおれのことだという自負なのだから。
 私はもちろん詩人ではないし、詩人の振りをしたこともない。しかし、新聞や雑誌に原稿を書くと、なぜか(詩人・文芸評論家)と併記して紹介されることが多い。たしかに私は若いころH氏賞という詩の新人賞をもらって物書きになったのだから、そう呼ばれても仕方がないのだが、どなたかがつけてくださったこの肩書(尻書?)を見るたびに、羊頭を掲げて狗肉を売っているような後ろめたさを感じないではいられない。
 本当のことを言おうか。詩人と呼ばれることはあるが、私は本当は詩人ではない。私は碁人である。詩はめったに書かないが、碁は毎日並べている。そして週に三回、吉祥寺の碁会所へ出かける。雨にも負けず風にも負けず、妻の小言にも原稿の締切にも負けずに出かけていく。
 「そんなに碁がお好きなら、さぞお強いことでしょう。好きこそ物の上手なれと言いますから」とよく人に言われる。その都度、私はこう答える。「下手の横好きという言葉もありますからね」。もちろん、私は横好きの口である。
 その下手な碁好きが、このたび計らずもかたじけなくも「第八代推協名人」の称号をいただくことになった。断っておくが、「酔狂」ではなく「推協」である。しかも第四代に続いて四年ぶり二度目の快挙なのだから、横好きの口が開いたまま塞がらない。
 本当のことを言おうか。これは私が強かったからではない。要するに相手が弱すぎたからである。
 一回戦は新井素子二級との七子局。この人は竹本健治棋聖の一番弟子として進境著しいものがあるが、昔から二兎を追っかけて両方とも取り逃すという悪い癖があり、今回もまたせっかくの好局をフイにしてしまった。楽盤ならそのとき注意して差し上げるのだが、本番ではそうも行かない。意地悪をしてごめんなさい。
 準決勝は萩原邦昭二段との四子局。この人は一回戦で竹本棋聖を破って勝ち上がった強豪だけに攻めが厳しい。何度も危地に立たされて投了を覚悟したが、その都度相手の緩着に救われた。まさに薄氷の勝利だった。
 決勝戦は倉阪鬼一郎四段との二子局。この人は前回準優勝の実力者で、なかなかの試合巧者でもある。右辺で天下分け目の戦いが生じたが、相手に凡ミスが出て中押し勝ちした。アマチュアの碁では、大きなミスをしたほうが負けることになっている。
 かくして私は「名人」になった。もしだれかに肩書を尋ねられたら「私は名人です」と答えることにしようかな。(名人)