新入会員紹介

『平城京よりご挨拶』

椙本孝思

 はじめまして、このたび入会させていただきました椙本孝思と申します。ご推薦を賜りました有栖川有栖理事、青柳碧人先生には、この場をお借りいたしまして厚く御礼申し上げます。
 二〇〇二年に「やがて世界は死に至る」という作品でひっそりとデビューして以来、現在までに十五冊ほどミステリやホラーを中心とした作品を上梓させていただいております。奈良の北部で生まれ育ち、一〇年間ほど大阪へと移り住んで広告代理店に勤務した後に、再び故郷へ戻り執筆活動に励んでいます。奈良は一三〇〇年ほど前には平城京という都が栄えていましたが、いまは数多くの寺社仏閣と史跡にその名残が窺えるのみ。夏に海なし、冬に雪なし。春は千本桜が匂い立ち、秋は野焼きの煙が目にしみる、のんびりとした地方都市となっております。ぜひお越しくださいませ。
 私と推理小説との出会いはいつの頃だったか。振り返れば幼少期にも少年期にも覚えがなく、恐らく高校生のころだったかと記憶しています。多くの作家は幼いころより読書をたしなみ、早くからその才能の片鱗を覗かせているものですが、私自身は全くそんなことがなく、子供のころはマンガとファミコンに明け暮れていました。
 それだけに初めて出会った推理物の作品といえば、小説ではなく映画でもなく、ファミコンソフトの「ポートピア連続殺人事件」でした。あの名作「ドラゴンクエスト」を生み出した堀井雄二による、ファミコン初のアドベンチャーゲーム。メリハリの利いたストーリー構成と、分かりやすい操作感。そして意外な真犯人による衝撃の結末は今も語り草になっています。私が推理小説を執筆する際に抱く「ミステリは、分かりやすさと、どんでん返し」という子供じみた信条も、この経験によるもののような気がします。
 話を戻しまして。私が初めて推理小説に触れたのは、先の通り高校生のころ。伯父の家の応接間で読んだ、不幸にもアガサ・クリスティの「アクロイド殺し」でした。言わずと知れた推理小説の名著。叙述トリックの象徴的な作品とされています。不幸にも、と書いたのはもちろん作品の内容ではなく、初めてまともに読んだ推理小説がこの作品だったという私の人生のことです。お蔭で読後も、ふうん、そうだったんだ、という冷めた感想で終わってしまいました。その後、さまざまな作品を読み漁ってから、ようやく「アクロイド殺し」が当時としては画期的なトリックが用いられていたことに気がつく羽目となりました。なんともったいない。脳にリセットボタンがあるなら押したい気分です。
 さて日本推理作家協会といえば、江戸川乱歩が設立した探偵作家クラブが前身であることはご存じの通りですが、二〇一五年にはその江戸川乱歩が没後五〇年を迎えます。今も多くファンを獲得し続けている数々の名作に対して、書店や出版社が復刻フェアを開催するかどうかはまだ分かりませんが、偉大なる先達に引かれて現代推理小説にも注目が集まる契機になることを期待しています。
 そんな折、先年にちょっとした場で江戸川乱歩を語る機会をいただき、その準備としてあらためて全作品を再読いたしました。かつては一読者の趣味として楽しんだ作品を、今度は一作家の仕事として読み解いてゆく。やりたくてもなかなかできなかった作業なので、とても勉強になりました。
 読み直してあらためて感じたことは、氏の娯楽小説への強いこだわりと、読者のニーズに答えられる器用さでした。「二銭銅貨」の暗号、「D坂の殺人事件」の探偵、「屋根裏の散歩者」の性癖、「鏡地獄」の奇想、「芋虫」の倒錯、「孤島の鬼」の構成、「黒蜥蜴」の個性、「三角館の恐怖」の本格、そして個人的に傑作として挙げたい超短編「白昼夢」。さらにはターゲットを絞った「少年探偵団シリーズ」。社会の常識にとらわれず、あるかなしかの小説のルールにもこだわらず、ただ読者の娯楽となるエンターテイメントを提供する。なるほど推理小説の原点とはこういうものであったのかと思い知ることができました。
 そうして江戸川乱歩の足跡を辿る中、探偵作家クラブの発足から今も続く日本推理作家協会の存在を知って、このたびの入会を希望させていただくこととなりました。いや本当に、平城京の経蔵に引き籠もっていると、それほど業界に疎いものなのです。まあ、江戸川乱歩の作品群を読み直してから門を叩く奴も珍しいのではないかと、笑っていただけたら幸いです。会員に恥じぬよう執筆に取り組んで参りたいと思います。何卒よろしくお願いいたします。