麻雀

第26回日本推理作家協会麻雀大会 特別寄稿 姫卓の攻防

KADOKAWA 山田剛史

 優勝でもなく、ブービーでもなく、32人中29位という中途半端な成績で終わったKADOKAWAの山田です。なぜ、こんな成績で寄稿することになったかというと、最終卓で史上希に見る珍戦の現場に立ち合ったことから、大沢先生から「山田! これはエッセイに書くしかないだろ!」と仰せつかったためです。
 個人的にも、会社的にも情けない戦績に終わりましたが、確かに貴重な現場に居合わせたことは確かですので、失礼ながらその模様をお伝えいたします。

 一回戦2位、二回戦4位、三回戦3位と凡戦を経た最終局。戦績順の組み合わせでビリ卓である8卓となった私は、作家の嵯峨野晶さんと伊多波碧さん、そして弊社の富岡という女性三人と対局することになりました。当然、三人に比べて麻雀歴の長い私は、「負けるわけにはいかない」という気負いがありました。周囲からも「情けないな」「点数ごまかすなよ」という野次が飛び交い、すでに戦う前から妙なプレッシャーがかかり、嫌な予感がしていました。しかもその日は一回戦からハイパイもツモも悪く、流れが良くないのも自覚していました。
 起家は私。案の定、親にもかかわらずバラバラの手で、早い順目で嵯峨野さんと富岡からリーチがかかり、あっさりと親が流されます。
「これは手がくるまで辛抱するしかないな」
 そう思った矢先の東2局。富岡がまたしてもリーチし、軽やかに「ツモー」のかけ声があがりました。富岡は点数計算ができないので数えようとしたところ、すべて暗刻がそろっているではありませんか! あまりの緊張感のなさに軽い手と思いきや、まさかの親の四暗刻16000オール。その後も富岡がアガリ、一時95000点まで浮上します。
「山田、負けててもうれしそうだぞ」
 徳間の村山さんから野次が飛びますが、内心はそれどころではありません。この時点で5000点を割り込み、焦りは募るばかりですが、一向に手はよくなりません。
 ノーテンで流れて嵯峨野さんが親の東3局。次の流れは嵯峨野さんに来たようで、またしても親のハネマンツモ。私は遂に箱下になります。最終局のルールで飛びがなく、嵯峨野さんから5000点をお借りしますが、5本場で二翻しばりとなり、箱下の私はリーチもできず、ますます苦しい立場に追い込まれます。
 このあたりで他の卓は徐々に終了し、こちらの卓にギャラリーが集まってきます。
「山田、おまえ何やってんだ! 早く終わらせろ」
 大沢先生が私の後ろに陣取り嘆きはじめます。流れが悪いときには打ち筋もぶれ、やすやすとテンパイを逃していきます。
「こりゃ勝てないわけだわ」
 大沢先生の嘆きも頂点に達したとき、嵯峨野さんの親も伊多波さんに流れ、遂に前代未聞の10本場に突入します。ここでまたしても伊多波さんが親でアガリ、11本場に。
「また親があがったのかよ!」
 大沢先生の嘆きはため息に変わります。
 ですが、次の場でようやく私にも普通の手が入り、やっとのことでタンピンドラ一をあがることに成功します。しかも11本場なのでプラス3300点。ようやく原点復帰し借金も返します。
 とはいってもまだ南一局。他の卓では延長戦が始まっています。
 そこからは重苦しい場が続き、この卓を待っている周囲のイライラが伝わってきます。
「早く振り込んで流せよ」
 とはいっても皆がツモ切りを続けるような場ではどうしようもありません。この卓の責任を一身に背負ったような(実際私の責任でもありますが)針の筵の中、さすがにギャラリーも興味を失っていき、その後は波乱もないまま、なんとかかんとか場は流れました。
 最終成績は順位点も入れて1位富岡84400、2位嵯峨野さん24700、3位山田15700、4位伊多波さん9200という結果になりました。
 終わったときには一同「疲れましたねー」と声をそろえておりましたが、私もいろいろな意味で、かつてこんなに疲れた半荘はありませんでした。
 結局、表彰式も例年に比べて1時間以上遅れました。
 ふがいない私のために、対局のお三方、周囲のみなさんにはご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。
 来年こそ、雪辱を期してがんばりたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。