新入会員紹介

『分岐点』

葉月奏太

 はじめまして。入会させていただくことになりました葉月奏太と申します。
 まずはご推薦いただきました山前謙さんと幡大介さんに心より御礼申しあげます。

 人生はなにが起こるかわからない。保険会社のキャッチフレーズのようですが、いつ、なにが人生の分岐点になるか想像もつかないものです。平凡なサラリーマンだった私が官能小説を書くに至った分岐点も思いがけないものでした。
 就職してしばらく経ったころ、その言葉はあまりにもいきなり突きつけられました。

「このままじゃ、あんた死ぬよ」

 具合が悪くて仕事帰りに夜間診療をやっている小さな病院へ駆け込んだときのことです。某占い師のような口調で、いきなり悪性腫瘍の告知をされました。唐突すぎて最初なにを言っているのかさっぱり理解できず、まさに晴天の霹靂。頭のなかが真っ白になりました。二十代の私にとって、死なんて遠い先のことだと漠然と想像するだけ。突然人生が終わってしまうかもしれないなど考えもしませんでした。
 手術後、検査結果が出るまでの日々は不安と恐怖に苛まれました。
 このまま死んだら、なにも残らない糞のようにつまらない人生だ。それでいいのか、と自問しつづけました。
 小学生のとき、ポプラ社の江戸川乱歩と宝島に夢中でした。とくに宝島のワクワク感は鮮明に記憶しています。
 病を機に、私は小説を書いてみたかったことを思いだしました。
 幸い悪性腫瘍の転移もなく、その後、今で言うブラック企業レベルの会社に勤めながら、睡眠二、三時間の投稿生活をつづけました。ひたすら書く。自分にできることはそれだけです。紆余曲折ありましたが、どうにか今に至ります。
 小学校を卒業後、私の夢や意思は一切考慮されることなく、待っていたのは中学・高校の寮生活でした。十二歳の子供は諾々と親に従うしかありません。しかも男子校の男子寮です。女性といえばゴキブリを素手で潰す舎監の老婆のみ。そんな歪んだ不自然な環境で六年も過ごすのです。
 思春期に隔絶された狭い世界で、異常なまでに抑圧された性と欲求、内包された鬱屈が現在官能小説を書いている原動力になっていることは間違いありません。

 連綿と続く時間の重なりが私という人間を形成しているわけですが、受け入れ難かったあの言葉と病気がなければ今の私はいないでしょう。閉ざされた六年間も然りです。
 作家として今後も生き残っていけるように精進いたします。より面白いと思ってもらえる作品を書きたい。目指すはただそれだけです。