松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアス・イベント体験記 第29回
「悪霊島」を見下ろす瀬戸内海一望のホテルで
金田一耕助をテーマにした臨時大学が開校
2013年1月26日~27日
岡山県・せとうち児島ホテルにて

ミステリ研究家 松坂健

 この数年、倉敷市が横溝正史をテーマに真剣な地域起こしに取り組んでいる。市の観光課が中心になって組織された「巡・金田一耕助の小径」実行委員会が、毎年秋口、11月27日頃をクライマックスにいくつかの企画を連打するものだ。この日付、耕助が一柳家に呼ばれて清音駅に降り立ったとされる日を指す(昭和12年の設定)。
 ということで、昨年2012年は作者、正史の生誕110周年ということもあり、例年よりもさらに盛り上がった。
 昨年11月24日には、イベント参加者全員が名探偵の衣装を身にまとって、清音駅から正史の疎開先宅のあった真備町までコスプレしたまま歩く"1000人の金田一耕助"が行われたほか、現地では正史の「楽しかりし桜の日々」を紙芝居にしたものの上演があったり、真備ふるさと歴史館で「横溝正史旧蔵資料展」が公開されたりともりだくさん。なおかつ疎開宅周辺に耕助シリーズのキャラクター6体も完成しているとのこと。
 そんなイベントラッシュの掉尾を飾ったのが、年があけて、1月26日~27日、二日間にわたって開催された「巡・金田一耕助の小径」大学。正史研究家がつどって、あれこれ論議する大会で、会場には「悪霊島」を見下ろせるせとうち児島ホテルが選ばれた。
 このイベントの初日、会場を訪れた。
 場所が岡山駅からJR児島駅、さらに車で十分。風光明媚ではあるけれど、行くのにいささか時間がかかるところだったが、耕助ファンというのは大したもの。一般参加者で80名を超える大盛況。しかも、若い人、女性客の含有率が高く、この種のイベントとしては大変な成果だといっていいと思う。というのも、筆者は観光関連の雑誌を編集していたこともあり、地方自治体から町おこし関連での視察依頼にいくつも応えている。その経験だと、この手のイベントでは時間のある熟年層が参加者の大半を占めることが多いからだ。まずは、若々しい客層を掘りおこしている倉敷市観光課の踏ん張りに拍手を送っておこう。
 授業は1月26日、午後1時、探偵小説研究家で、正史のアンソロジーを何冊も編集している浜田知明氏による入学式からスタート。ちなみに、浜田氏はこの大学の学長さんということになっている。
 1時間目がその学長による「横溝正史の探偵小説観と技法」。景品つき正史作品クイズを織り交ぜながらの、「蔵の中」と「犬神家の一族」の読解である。
 つづく2時間目が正史の資料を譲渡され研究を進めている二松学舎大学文学部教授、山口直孝氏の「肉筆で読む『八つ墓村』─横溝正史旧蔵資料が語る創作姿勢」と題する講演。パワーポイントで、正史自身の生原稿を再現しながら、彼がどのような執筆態度をとっていたかを推理するものだ。
 ケーキとコーヒーのブレークを経て、3時間目も二松学舎大・文学部教授、江藤茂博教授の「文芸の解読/メタ・テキストを楽しむ」と題する授業。終わったばかりの大学センター入試の国語の問題を引いてのテキストを読むことについての考察。ちなみに、試験に使われていたのは江國香織氏のショートショート『デューク』。おー、今はこんなものが試験に出るんだと、お勉強になります。
 そして1日目のラストを飾るのが有栖川有栖氏の「金田一耕助は名探偵か?」と題する講演。正史に憧れて探偵作家を志した有栖川さんらしく、師に対する敬愛の情に満ちた、とても聞き心地のいいものだった。
 いくつも重要な指摘があったが、日本文化の隠れた水脈に「本歌取り」と「見立て」があり、正史はそれを上手に利用している、との言及が啓発的だった。『獄門島』の余りに有名な「無残やな 甲の下の きりぎりす」の句は、芭蕉のものだが、これ自体が英雄の死を悼んだ西行の句の本歌取りだと論じ、正史は戦後を迎えたその瞬間から、探偵小説の形を借りて、「日本を取り戻そうと考えたのではないか」と有栖川さんは論じる。
 僕自身、正史ミステリがもつ本質的な明るさ(描かれるのは陰惨な殺人事件だが)が、戦後の開放感の裏返しとかねてから考えていたので、まさに我が意を思えた感じだった。
 余談になるが、井上靖さんは結局書かず仕舞いだったが、かねてより「敗戦後の昭和22、23年までは、本当にぽかっとした、開放された自由な時間がありましたね」と語っていたそうだが、正史の戦後すぐの諸傑作はそんな気分をみごとに写しとっていたように思う。だから、僕は『獄門島』や『本陣』を愛するので、論理の精緻さとか、フォークロアを使っていることとかは、余り関係ない。従って、その後、岡山の「田舎もの」から耕助の活躍が都市部に移った「都会もの」には開放感がなく、どこか息苦しくて好きになれない。このあたりのことで一度、正史論をまとめてみたいと考えているほどだ。
 ともあれ、そんなことで一日目の授業は終わり。僕はここで会場から去ったが、夜は懇談会、そして二日目の二コマ、「金田一耕助岡山ものの中の岡山弁」(創元推理倶楽部広島岡山分科会 青山融氏)と「本陣殺人事件再読─語りとトリックから」(同倶楽部 網本善光氏)があって、卒業式という段取りだった。
 まさに耕助漬けの一泊二日、今さらながらに、金田一耕助ファンの裾野の広さを感じさせてくれるイベントだった。
 受講しながら、ひそかに決意。今年秋の金田一耕助コスプレウォークにはぜひとも参加するぞ、と。今から衣装の手当、考えなきゃ!