リレー・エッセイ「翻訳の行間から」

オシゴト大好き

寺尾まち子

 子どものころ、人形遊びとママゴトが苦手だった。リカちゃん人形は持っていたし、本物のホットケーキが焼けるママレンジもねだったけれど、本音を言えばどちらの遊びも少々退屈で、子どもなりに友だちとの「付きあい」で、仕方なくやっていた感がある。
 わたしが本当に好きだったのは、洞穴ごっこと会社ごっこだ。洞穴ごっこは、部屋の隅に椅子などを引っぱってきて、洞穴に見立てた狭い空間をつくり、そこに潜んで、迫りくるオオカミから隠れる遊びだ。といっても、オオカミ役はいない。想像上のオオカミが近くをうろついているという設定で、ひたすら「オオカミがきた!」、「シーッ、静かに!」などと言いあって怯えるだけ。それでよく何時間も遊んでいたものだ。
 会社ごっこはそれよりやや進化し、友だちとわたしはOLだ。伝票に何やら書きこみ、ハンコを押し、「○○会社でございます」と電話に出る。そういえば、父に頼んで小さな厚紙にエイゴで名前を書いてもらった名刺も持っていたっけ。
 とにかくオシゴトの真似が好きだったわけだが、さまざまな仕事に対する好奇心はいまも変わらない。といっても、コスプレをしてほかの職業になりきっているわけではないので、ご安心を。仕事の話を根ほり葉ほり聞くのが大好きなのだ。
 昔々、財務省が大蔵省と呼ばれていたころ、友人が主計局の男性とお見合いをした。友人は仕事の話ばかりする相手がいやで、すぐに断ってしまった。「もったいない!」一緒に話を聞いていた女子たち(当時)がいっせいに叫んだが、そのあとに続く言葉はちがった。友人たちが「せっかくエリートと出会ったのに」と言ったのに対し、わたしは「予算編成の話が聞ける機会なんてめったにないのに」と言ったのだ。そっちか。
 こういう趣味(?)をもっている者にとって、さまざまな職種の友人たちが集う同窓会は絶好の場だ。先日もいろいろな話が聞けた。美術館に勤務する友人からは、地震で所蔵品が壊れたときの後始末の話。とうぜん保険に入っているものだと思っていたら、保険料がとんでもない金額になるので、所蔵品すべてに保険はかけないという。知っているひとには何でもない話かもしれないが、わたしにはちょっぴり意外で、こういう小さな「へえ」がたまらない。
 また、証券会社でトレーダーをしていた友人は「(約束が)マルになった」という言葉をよく口にする。文脈から想像はつくものの、あらためて尋ねてみると、やはり「無し・取り消し・無効」という意味だった。証券取引で取り消しになった注文伝票にマル(実際には筆記体の小文字のエルのような形らしい)を書いていたことに由来する業界用語だそうだ。友人はまだ新米だったころ、上司に「マルだ」と言われて混乱し、「それはOKのマルですか? それとも無しのほうのマルですか?」と叫び返していたとか。ただし証券取引が電子化され、場立ち(取引所で売買注文をさばくひと)がいなくなってからは、この言葉を知らない証券パーソンも増えてきたそうだが。
 このように、さまざまな仕事の話を聞くのが好きなわたしだが、反対に翻訳という仕事について、興味を抱かれることもある。
 「ああ、戸田奈津子さんみたいなお仕事ですか」、「英語、ぺらぺらなんですね」、「夢の印税生活ですか!」というのが、これまでに出合ってきた、翻訳者に対する三大イメージだ……まあ、誤解は多々ある。
 それにしても、世間の人々はどうして「印税」と聞くと、高額だと思いこむのだろう。どうやら、印税=高額な不労所得=左うちわの生活という図式ができているらしい。いや、それはわたしが出会った人々だけの特異な反応なのか?
 同業のみなさま、いかがですか?

 次は憧れの先輩、高橋恭美子さんにご登場いただきます。