日本推理作家協会会報

冬の月末に
伏見 威蕃


 

 もう三十年以上も前、繊維商社につとめていたころの話である。たしか歳末だったと思うが定かではない。仕事納めの日ではなかったはずだ。が、冬の月末であったことはまちがいない。
 その会社では、鉄道が不便な関東近県をまわるときには、自家用車を使うことが黙認されていた。それに、当時は練馬に住んでいたので、自宅からじかに車で直行したほうがはるかに早い。その日、数カ所で集金を終えて会社に戻ったときには、もう退社時刻を過ぎていた。経理に入金したあと、そのまま帰ればいいだけだった。いつものように東神田あたりを通り、靖国通りに出た。
 これがひどい渋滞で、岩本町あたりで早くも動かなくなった。そのとき、道端に立つ初老の男と目が合った。その男が停滞している車のあいだをすたすたと歩いてきて、助手席の窓を軽く叩いた。パワーウィンドウではないので、僕は把手をまわして窓をすこしあけた。失礼ですが、どちらに行かれるのですか、この辺は不案内なので――というようなことを、男はいったようだ。都営新宿線はまだなかった。九段あたりまでなら通り道なので、ということで男を乗せた。茶色のヘリンボーンのオーバーを着て、身なりにも顔つきにも不審はなかった。懸念を抱かなかったのは、高校の担任の先生に似ていると思ったからでもあっただろう。ツードアの小さな車の助手席に男は座った。
 このあたりにお勤めですか?きかれて、僕は会社の名を教えた。ああ、マル××さんですか――と男がいったのは、社名ではなく会社の紋どころによる呼び名だった。一部上場の会社とはいえ、業界に詳しくないと出てこない言葉である。よくご存知ですね、と僕は答え、川上から川下まで糸へんの景気が悪いことや、以前いた大阪の話になった。船場センタービルもシャッターを閉めているところが多くなって……等々、十分ばかり符牒をまじえた話がつづいた。靖国通りのそのあたりにも繊維問屋が多いので、男がそういった関係の仕事をしていることは容易に推測される。渋滞は依然としてひどい、やっと数百メートルも進んだだろうか。
 ところで――と男が切り出した。じつは財布を掏られたか落としたかして困っている。仕事で塩山まで行かないといけないのだが、すこし用立ててもらえないか、あとで会社のほうにでもお送りするから……。
 おいでなすった、と思った。貧乏サラリーマンなので、もとより一万円札など持っていなかったが。三千円やそこいらはある。しかし――。
 いや、小銭程度しかないし、途中で高速に乗るかもしれないので、と僕は断った。
 男は納得したふうで、すこし考えていた。たしかこのあたりにもう一社得意先があるので、そこへ行ってみます。錦町はどっちの方角でしたか?
 ああ、その先の駿河台下を左に曲がれば、すぐです。僕は教えた。
 いや、ありがとう。男はあいかわらず慇懃な口調で礼をいい、車をおりた。
 車がのろのろとすこし先へ進んだあと、うしろにはまだ道端にたたずんでいる男の姿があった。
 うちに帰って家人に話をすると、どうしてそんなあぶないことをしたのかといわれた。だが、僕の心はちがうところにあった。
 三千円あったら、どうして千円でも渡さなかったのか?騙されたふりができなかったことが苦かった。見抜いただけでいいじゃないか、そんな頑なになることはなかったのに――こういう老獪な性格は、ひとの書いたものを読み解く仕事には向いているのだろうが、それをいまだに悔やんでいる。
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 次回は最近カメラパーソンの才能を発揮し、海外からも画像への引き合いがあり、ご自分の訳書の表紙にも自分のデジカメ画像を使っている田中一江さんにお願いします。ミニマリズム、工業萌え、猫写真などがお得意のようです。