二〇〇八年最初の土曜サロンは会員の小鷹信光氏をお迎えした。小鷹さんはハードボイルドの研究と翻訳の第一人者であり、お名前をご存じない方はいないであろう。ミステリ以外の分野も含めて数多くの著作が出されているが、一昨年上梓された『私のハードボイルド――固茹で卵の戦後史』(早川書房)で推理作家協会賞を受賞された。
小鷹さんとハードボイルドとの関わりはかれこれ五十年以上に及ぶ。≪マンハント≫が創刊されたのは大学二年生の夏だった。その前の年、早稲田大学に入学した秋にワセダ・ミステリ・クラブ(WWC)が設立されている。この二つは小鷹さんの人生を決定付けた。
≪マンハント≫が創刊された頃、日本で翻訳ミステリ誌は日本版≪エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン≫(EQMM)だけだった。≪マンハント≫が創刊した翌年には≪ヒッチコック・マガジン≫も創刊され、三誌が競合することになる。
しかし、読者を食い合うことはなかった。むしろ競合することによって売れ行きはよくなったという。≪マンハント≫は三万部まで出たこともあるというが、≪ヒッチコック・マガジン≫もそれぐらいは出ていたと思われる。競合誌が出たことで翻訳ミステリ誌は盛んになったが、しかし、この時代は四年ぐらいで終わりを告げてしまう。版権の値上がりが響いたらしい。
小鷹さんが≪マンハント≫に関わるようになったのは、一九六〇年二月号の読者座談会からだった。そこに呼ばれたきっかけは翻訳についての投書。その頃から翻訳でおかしなところがあると、原文と照らし合わせていた。これは四つ上の兄がペーパーバックを読んでいて、おかしな翻訳があると教えてくれた影響もあるという。
この読者座談会が縁で小鷹さんは≪マンハント≫の編集部に出入りするようになる。そして、手がけたのが≪マンハント≫のインデックス。≪マンハント≫では人手不足もあって同じ翻訳を二度載せてしまうことがあった。これはまずいということで、編集部にあった本国版のバックナンバーを全部チェックし、それを元に作家別に作品をリスト化し、さらにデータを付け加えた。
英文のデータは、その前から作っていた。当時は資料本というものがほとんどなかった時代なので、まず自分で作らなければならなかった。洋書専門の本屋に行き、本の後ろについている広告を一生懸命書き写したこともある。翻訳に関するデータは都筑道夫氏の影響を受けて、たとえば他誌で翻訳があれば、そのことも記載するというようにした。なお、英字部分をタイプしてくれたのは片岡義男氏。ペーパーバックを集めている縁で知り合い、今も交友が続いているという。
このインデックスが完成したときはとても嬉しかった。表紙には編集長の中田さんが『マンハント秘帖』というラベルを貼ってくれた。まだどこにもこういうものがない時代だった。
一九六一年一月号から「行動派探偵小説史」の連載を開始する。これが「小鷹信光」としてのデビューとなる。一方、WWCの機関紙≪フェニックス≫では、毎号ハードボイルド派の紹介記事や評論を書き続けていた。おかげで学生時代はミステリ漬けだったという。
社会人になっても連載を続け、≪マンハント≫がなくなった後も≪ハードボイルド・ミステリィ・マガジン≫や≪EQMM≫で書き続けた。一九六四年に初めての単行本を出した。この頃から仕事の量が増え、それに伴い収入も増えたので、入社五年目でサラリーマンを辞めて独立した。
自分の半生を振り返ると、五〇年代は自分の目の前にあったきらきらしたものを追いかけていた。六〇年代はアメリカの大きな犯罪に関心を持ち、それと同時に生きていた。七〇年代は途中からアメリカへの関心が薄れてしまい、様子を見るようになる。この頃からコレクションへの情熱も薄れてきたという。
コレクターではなくなったけど、ペーパーバックへの関心は今も変わらない。最近はカバーイラストを研究している。きっかけはカーター・ブラウンの表紙を一〇〇点描いたというギネスの画集。そこに書誌が載っていてチェックすると、自分は七〇冊持っていることが判明。残り三〇冊を購入し、一〇〇点揃えてしまう。しかし、画集が出る画家はごく一部で大半は無名のまま。その不遇さを報いたいと思うようになった。
この研究は『私のペーパーバック修行』というタイトルで本にしたいと考えている。また、年内には『新パパイラスの舟』の刊行も予定されているが、こちらもボリュームのある内容になるという。
現在、四版まで重ねている『私のハードボイルド』だが、協会賞を受賞したことによって帯を差し替えられている。書影を入れた最初の帯を見てもらえなくて残念に思う小鷹さんの要望により、帯は増刷りされている。この帯が欲しい方は、早川書房に申し出てくださいとのことでした。
〔参加者〕加納一朗、新保博久、関伸行、直井明、長谷川卓也、福本直美
〔オブザーバー〕大橋博之、沢田安史、曽根忠徳、中田雅久、藤原龍一郎、石井春生(文責)