日本推理作家協会会報

剛爺コーナー(三十七)

 このところ西部劇というか、西部小説の風が吹いている。
  日本では、西部小説は西部劇が全盛だった一九五〇年代、六〇年代ですら、売れたためしがなかった。ハードボイルドミステリの原点は、西部小説にあるとさえいわれているのに、である。現に、ハードボイルド小説や犯罪小説を書く作家で、西部小説にも手を染めている人は、たくさんいる。
  古いところでは『コルト拳銃の謎』(東京創元社)を書いたフランク・グルーバーがいる。この人は、むしろ西部小説作家と言った方が、当たっているかもしれない。傑作は数知れず、リチャード・ウィドマーク主演の『六番目の男』などは、ちゃんと翻訳もされた(早川書房)。犯罪小説の雄、エルモア・レナードも若いころ西部小説を多作し、映画になった作品も二本や三本ではない。
  しかし、こうした人気作家の西部小説も、なぜか数少ない例外を除いては、めったに翻訳されることがない。今でも手にはいる、西部小説の古典といえばジャック・シェーファーの『シェーン』(早川書房)くらいのものだろう。
  最近では、探偵スペンサーで知られるロバート・パーカーが、ワイアット・アープの実録小説『ガンマンの伝説』を書き、日本でも翻訳が出た(早川書房)。しかし、スペンサーものに比べて、はるかに売れ行きが悪かったと聞く。その他ではハーレクイン系の女流作家、リンダ・ハワードが『天使のせせらぎ』(ソニー・マガジンズ)以下のロマンチック西部小説で、一人気を吐いているのが目につく程度である。
  ところが、今年にはいってトーマス・イードソンの『ミッシング』(ソニー・マガジンズ)と、人も知るトレヴェニアンの十数年ぶりの新作『ワイオミングの惨劇』(新潮社)の、二冊の西部小説が立て続けに翻訳出版された。いずれも重厚な、普通小説に近い仕上がりである。いわゆる西部劇の爽快感、疾走感は乏しいけれども、久しぶりの西部小説だけに、楽しく読んだ。
  剛爺は見そこなったが、『ミッシング』は映画になって日本でも公開された。話題にならぬうちに消えてしまったので、いずれビデオになったら見ようと思っている。
  そうこうするうちに、ケヴィン・コスナー監督主演の西部劇大作『ワイルド・レンジ』が満を辞して公開された。剛爺も配給会社に懇望されて、ちょいとほめすぎのコメントを出してしまった。剛爺は、コスナー君があまり好きでない(少なくとも、西部劇俳優としては)ので、彼の顔をウィドマーク老に置き換えて見たのだが、そのせいかまずまずの出来だった。
  コスナー君は、十年くらい前だらだらと長い『ワイアット・アープ』という凡作を作って、西部劇のオールドファンを嘆かせたものだったが、今回は一応及第点をつけてもいいだろう。コスナー君は、足を洗った無法者という設定のもと、ロバート・デュバル老に使われる牧童になる。ただ、この人はやたらに深刻そうな顔をするだけで、そういう暗い影を感じさせないのが、なんとももどかしい。
  最後の、二十分間にも及ぶ銃撃戦は見ごたえがあるが、かつてのマカロニウエスタンの影響か、六連発の拳銃から十何発も立て続けに撃ったりする。そんなことしちゃ、いけませんよ、コスナー君。それに、さんざん悪党どもを殺しておきながら、「こんなボクでよかったら…」などと言って、ヒロイン(アネット・ベニング、美人じゃないがいい女です)に求婚するのはいかがなものか。ま、受けてしまうアネットもアネットだが…。
  アメリカ的〈正義は強し〉の、ブッシュ根性がちらちらするのはいただけないが、西部劇に政治をからめるえげつない見方はしたくないので、すなおに〈西部劇ファンは一見の価値あり〉とお勧めしておこう。