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いま、なぜだと問いかけるのは、やめにしよう。
野沢君。現世での付き合いのまま、君と呼ばせて貰う。
君は、ぼくらの前から去った。
君が作家としてデビューする前から、その作品を読んでいたぼくには、おぼろではあるが、そういう予感があったような気がしている。
暗く、得体のしれない場所に押しやられていく不安。それを、作品の中から読みとってはいた。
ただそれが、死というものと結びつかなかっただけだ。
死は、君にとっては、古い友人のように、ひょっこりと訪ねてきたものだったのではないだろうか。
君はドアを開け、その友人にほほえみかけた。そうすべきではなかった、とも言わない。人には、自らのドアを開ける権利はあるからだ。
ただ、脚本家として大成していた君も、作家としては、間違いなく、これからの人だった。
君がぼくらに示した可能性は、あまりにも大きく、そして悲しいほど未完だ。
これからどういう世界が構築されていくのか、それを読むことができなかったのが、残念でならない。
しかし、これ以上は言うまい。
君が現世に刻みこんだ生の証しは作品として残っている。
いま、君のほほえみを思い出す。
その声を、眼ざしを、握手した時の手の温もりを、思い出す。
別れの言葉を、述べなければならないのだろうか。
生きることは、死ぬことだ。
そして死ぬことは、人々の心の中で生き続けるということだ。
いまは、そう思うしかない。
野沢君、さようなら。
平成十六年七月四日 告別式にて
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