日本推理作家協会会報

清張短編礼讃
石川真介


 この春のこと。東京大学出版会から刊行されているPR誌を何気なく手に取ったら、「東大教官が新入生に勧める図書」という特集企画の中で、地震学の世界的権威は清張の「或る『小倉日記』伝」を推奨していた。私はまるで百年の知己に出会ったようで非常に嬉しかった。
 清張の長編は豊富な社会テーマを惜しげなく繰り込みながらも、読者を引きずり込んで面白がらせてやろうとする娯楽性がその根底にあるのに対し、その短編、とくに初期のものには求道者のデモーニッシュな努力を描いて読者の胸を打つ作品が少なくない。その中でも「ある『小倉日記』伝」は、逆境にも周囲の無理解にも負けず困難なテーマに初志貫徹で打ち込んでいく母と子のすさまじい闘志を描いて、物狂おしいまでの光彩を放っている。直木賞の選考委員だった永井龍男がこの作品を芥川賞候補作に回し、晴れて同賞を受賞したのは、人生投影の高さと鋭さを如実に物語っている。
 私の清張短編ベストを記す前に、中学二年生の秋のある朝を振り返りたい。私は自室で庄野潤三氏の作品集を読み耽っていた。国語の教科書にその一部が載った「静物」という中編に心魅かれ、作品全体を通読したくなったのであった。
 日常生活のどうでもいい風景を淡々と描いて、ほのぼのとした微笑の背後に強烈な不安を漂わせるという作風は実に巧妙で、会話文の上手さに私は圧倒されてしまった。この「静物」世界を楽しんだ私は、次の「プールサイド小景」で文字通り呼吸が止まるほどの驚愕を受けたのである。このどんでん返しの凄さよ。
 その感動は、夜になって再燃した。私は集英社版『新日本文学全集第31巻松本清張集』に夢中となり、胸躍らせつつ所収長編の「球形の荒野」を一気に読み終えた。すき焼きの夕食を家族そろって摂り、私は再び自室にこもって同集に付された短編全品に目を通した。さらに倦むことなく短編集を書棚から取り出してある作品と対面する。タイトルは「拐帯行」。
 犯罪者となった不良青年と少女の逃走は平板なもので、現代風俗を活写したというほどの出来栄えでもない。名手清張にしては凡作かと諦めかけた最終局面になって、経験したこともない電光が私の目を眩ませた。まさに吃驚の結末。しばし呆然となって、私は傑作の余韻にひたっていた。
 もっとも、清張のあまたある短編群の中で、「拐帯行」は格別に傑出した評価を受けているわけではない。結末の大唸りも、現在の読者にはさしたる感動を与えないかもしれない。とはいえ、十四歳の少年には、それこそ足腰ががたがた震えるほどの興奮をもたらしたのであった。
 朝の「プールサイド小景」と夜の「拐帯行」。今やすっかり衰弱した両親が元気いっぱいだった、また、離れ離れに暮らしている五人のはらからが一軒家に寝起きをともにしていた時期の、牧歌的で懐かしい活字中毒の思い出である。
 初読時の迫力が圧倒的だったので、私はどうしても「拐帯行」を清張短編の総合ベストに推したいのであるが、部門別のホラーベストとなると、やはり「家紋」にとどめを刺す。殺人者が深夜の雪道をひたひたと迫ってくる逃げ場のない恐怖と、両親ばかりか幼な子までを餌食に一家皆殺しを目論んでいたという残酷な憎悪は、雪の白と血の赤を媒体にして鮮烈な怖さを直射している。
 本編では、皆殺しを図る動機はほとんど言及されていない。この手法は、結果的にプラスに働いているといえよう。説明しないからこそ怖ろしいのだ。そういえば、長編ホラーの傑作たる岡嶋二人「クリスマス・イブ」でも、執拗な殺人鬼が執拗に狙い撃ちしてくる理由は、少しも明記されていない。
 映画「13日の金曜日」では、殺人鬼の悲しい動機が開示されたことで、かえって恐怖感が増幅されたようで印象づけられた。その差異が単に活字と映像の違いによるものか否か、私にはよくわからない。
 清張短編のストーリーベストには、躊躇することなく「西郷札」を選びたい。日本最後の国内戦争と人間の飽くなき欲望をリアルに描きつつ、妹への愛慕の切なさと妻への疑惑と嫉妬を普遍的な筆致でドラマチックに仕上げている。短編の中に遠景と近景をこれほど見事に融合した技巧の妙は、大清張をもってしてもその数多しとは言い難いのであった。
 非映像化短編ベストは、「黒地の絵」としたい。清張のついに叶わなかった夢を仮に挙げるなら、「黒地の絵」の映画化は必ずや先頭グループに含まれることだろう。昭和三十二年の「顔」から同五十九年の「彩り河」まで、原作をもとに製作された映画は三十五本を数えるが、清張がもっとも望んだのは「黒地の絵」の映画だったという。
 最初の映画化を企画したのは、東宝の森谷司郎だった。作品の反米主調よりも、むしろ人種差別が問題視されたらしく、東宝はとうとう許可しなかった。
 次いで、黒澤明が名乗りをあげた。この名監督をもってしても、政治と差別の問題は克服できなかった。
 痺れを切らした清張は、「ゼロの焦点」や「砂の器」で大評判を勝ち取った野村芳太郎氏に密着した。映画会社に見切りをつけて「霧プロダクション」を設立したのは、実に「黒地の絵」の映画を製作するのが主意だったと伝えられている。野村は米国人シナリオライターを起用するなどして準備を重ねたものの、ついに目的は果たせず、清張をいたく失望させた。
 シナリオの第二稿から担当した井出雅人は第三稿を専門誌「シナリオ」に発表し、これが熊井啓氏を動かした。だが、時すでに遅し。戦後も米軍キャンプも黒人脱走兵も歴史の彼方に埋没し、作品は同時代性の輝きを喪ってしまったのである。
 清張の挫折感は、いかばかりであったか。今後、もしも「黒地の絵」の映像化が成るとしたら、清張はまさに田上耕作となるのであろうか、などと私はしばしば考えたものだった。
 ちなみに、清張の長短全編をあわせて、私がもっとも感銘を覚えた人物造型は「断碑」の木村卓治である。