目覚めると杉並区内は無人だった。
飲みすぎた――ということは瞬時に理解した。やばいよ頭痛ヒデエや、と寝起きに唸る。ところで、あれ、ここどこだっけ? そうだガールフレンドの部屋だ。確か杉並のどこかにあった。昨日はまず夜の七時から笹塚の牛タン屋で飲みはじめて、いやこの場合は食べはじめてっていうんだろうけれど、だけれど気がついたら飲むのがメインになってて、あの店ではビールばっかり二人でガバガバやってた。それから第二の店に移って、なにかダイニング・バーみたいなところで、そこで確か馬刺しと山羊刺し(沖縄から取り寄せたらしい)を肴に日本酒をガバガバ飲んでて、それからガールフレンドが赤ワインのボトルを「あははははは」とか騒ぎながら頼んで、それからボトルを三本痛飲して、うーん、これじゃあ翌日通院ですとか天然かまして、ワイン・グラスを約九十秒に一回の割りあいで傾けながらカポッカポッ飲んでいたところまでは憶えているのだが。
それでここに移動したのだろう。
ユミちゃんはどこだ?
うーん、わからん。
ユミちゃんには全然下心ないのに部屋に泊めてもらっちゃって、俺、へんなことしてないよな?
しかし昨夜は楽しかったですね、と脳内ドッペルゲンガーに語りかける。やっぱり笹塚ってロケーションがよろしい。笹塚というのは渋谷区と中野区と杉並区と、それから世田谷区の、合計四区の交叉点のような土地にあって、ちょっとばかり「東京」の地脈がバトルロワイヤルしていて、こういう場所は僕はたいへんに好きである。国境のない日本列島でせせこましく生きていると、やけに県境とかに敏感になる。本州出身というのは先天的に不幸だなあと思う。せめて離島にでも生まれたかったです。北海道の礼文島でも沖縄の大東島にでも。
ああ、国境線の代わりに水平線を俺にくれ!
・・・・・・しかし頭痛ゲキやばいな。う、息が酒くッさーい。ぬるい風呂に入りたいなあ。第二希望は? はい古川君。せめてモーニング・シャワー。というわけでユミちゃん戻らないかしら。
断わりも入れずにシャワーを浴びるのはエチケット違反な気がするのですけれど。
ユミちゃん?
それから三カ月が経ち、いまだにユミちゃんは戻らない。僕は目覚めた日の午後から不安になり、部屋中にメッセージを探したが、そんなものは置いてなかった。さすがに腹を減らして、冷蔵庫の中のものを勝手に食べてしまうのは気が引けるので、マンションの外に出てコンビニにむかう。セブンイレブンのほうが最近デザート美味しいんだけれどローソンしかない。ミニストップがあったらソフトクリーム食べるんだけどなあ。そして、ローソンの店内で、数分で気づいた。
誰もいないじゃん。
おいおいヨイのですか? レジに強盗とか入っちゃうよ。ローソンの店内ラジオ番組は放送流しててハジメチトセとかかけてるのに、店員さんがいないです。一人も店員さんが、おーい店長! いいのっかなー、強盗できそうな雰囲気だから「作家勉強」として強盗しちゃおっかなー。ウソですウソウソ、などと脳内ドッペルゲンガーと会話しつつ、カルビ弁当をカウンターに置いて人を待つ。
二時間待っても店員は現れない。それどころか、客も。一人も、どころか、カウントするに半人前の子供の客すら入ってこなかった。さすがに異常に気づいた。コンビニの店外に出て(ちゃっかりカルビ弁当は失敬している。あとダイエット・ペプシが二本)、さらなる絶対的異変を悟る。
一台も車が走っていない。
この街からは人間が消えていた。見渡すかぎりの杉並区から。
僕には奇妙なサバイバル能力があり、それは常人離れした「適応能力」というのが正確なのだが、今回もそれは発揮される。警察に電話して、誰も出なかった時点で、地球から人間が消えてしまったのだと理解する。理由を考えても意味はない。推理するような知性は僕には具わっていないし、とりあえず食って寝るしかない。ただ、ユミちゃんには帰ってきてほしかった。ユミちゃん不在のまま、彼女のマンションの主人面をしているウソは、いやだった。部屋に失礼な気がした。
僕は三カ月間、ずっと玄関のドアを見つめている。
あんなに楽しく飲めたのに、あれでお別れなのかな。
俺の最高のガールフレンドだったのに。
その悔しさ(悲しさかもしれない)をまぎらわせるために、今日も飲む。アルコールに酔えば、幻影は現われた。幻影は部屋の中ではユミちゃんで、通りに出れば通行人で、自動車だってゴースト的に走った。杉並区全土のコンビニと酒屋を渡り歩き、酒という酒を狩り出して、またユミちゃんの部屋に戻って飲む。僕が飲みつづければ、無人の地上には幻影たちが生まれる。だから、酔いつづけなければならない。
世界から人間を尽きさせないために。
ユミちゃんを失わないために。
地球最後の酔狂として、僕は飲む――衰弱して独り、死を迎えるその日まで。 (書き下ろし)
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